私は今、図書館のソファに座っている。
机もない、通路に面したところで雑誌を読んでいた。
私の前はちょうど通路のカーブで、特設の震災復興コーナーがある。(和合亮一の本があったので、手元にキープしている)
白板にセロテープで写真を貼り、震災関連の書籍や写真集が積んである。
人々は通り過ぎるが、なかには立ちどまる人もいる。眺めるつもりもなく、視界に入る人々である。長く立ちどまる人もいるし、すぐに行ってしまう人もいる。
ふいに、おじさんが涙を拭いているのが見えてしまった。サーモンピンクのあせたような長袖のポロシャツで、ベージュのズボン。小さなカバン。シルバーの縁の眼鏡。ぽってりとした体格で、背は高くないが低くもない。白髪まじりである。思えばこの人は、長く白板の写真を見ていた。
風景の写真。かつては大切にされたものが、泥にまみれて高く積みあげられた写真。子どもが笑っている写真。憮然とした老女の写真。毛布にくるまった女の子の写真。船の写真。壊れた車の写真。仮設住宅の写真。新しくつくられた、小さな木造の図書館の写真。その、手づくりの看板をうつした写真。
怯える人々、助ける人々、考える人々、生きていく人々。
同情しない人はいない。
みんな普通に暮らしているが、それぞれのやり方で明日を迎えようとしている。
知らないおじさんがひっそりと涙を拭いているのを見て、私を親近感を抱いた。仲間意識。
ずっと憶えていよう。気にしていよう。のりこえていったとしても。
(おじさんの背中も含めて)
ずっと憶えていよう。