贅沢な退屈。

  二十代の頃から、好きな男の人がいたら「一緒に退屈したいなぁ」とよく憧れていた。
  話したいことなんてもう何にもなくて、行きたいところも何にもなくて、空腹でもなくて、ジンジャエールとか気が抜けてしまうまでグズグズと飲んでいたいなんて思っていた。
  デートの約束なんかしたら嬉しくて、《前日に》自分が報告したいことを長々と電話で話したりした。相手は「明日会うんだから、明日きくよ」と言うが私は「明日はこの話をするよりも、一緒に目の前のものを見たり感じたりしたい」と譲らなかった。そして当日は黙りがちに過ごしても(私は)問題なかった。海に行くなら一緒に海というものを感じたかったし、映画に行くなら一緒に映画というものを感じたかった。退屈でも構わなかった。

  
  美ヶ原高原美術館箱根彫刻の森美術館とか。北海道のアルテピアッツァとか。野外の彫刻をダラダラとみながら散歩して。現代アートに辟易して腕組みしているおじさんの後ろ姿を一緒に見たい。
  感想らしきものが出なくて。それでもドレが一番好きか、無理矢理選んでもらいたい。(ドレが一番かって言われてもなぁ、、、と困ってもらいたい)
  その時、私たちはカラッポの顔。カラッポの頭。
  面白いねとか、大きすぎるとか、倒れそうとか、あそこはどうやって掃除するんだろうとか、あれは錆かなぁとか、あれは苔かなぁとか、これワザトかなぁとか、この顔はいいねとか、このポーズは無いよねとか、あ私たちが反射してるよとか、喉かわいたとか、もう疲れたとか、そんなことをブツブツと言いあいたい。


  何を考えているかわからない。何も考えていない。反射神経だけで、退屈に任せて、カラッポになって、思ったことなど投げかけてみたい。
  (相手が相手なら、結構なスリルですよ^_^)

  昨日は全く別の場所にいて別のことをしていた。
  明日は全く別の場所に行き別のことをするだろう。
  それでも少し退屈しながら〈現在〉を共に過ごすことは、私は嬉しい。

  昨日の話も明日の話もしないで、カラッポになりたい

  〈現在〉を。
  カラッポになって手を繋いでいる。そんな贅沢。