私は大学生の頃、たくさんの映画をみていた。
映画館は友達とも行くし、一人でも行く。ただし、みたい作品だけ。誘われたから行く、ということはなかった。誘われても、みたくない作品だったら「みたくない」とキチンと(?)断った。タイミングが合えば連れがある、つまりタイミングの問題であった。
レンタルビデオ店も利用していた。借りていたアパートにはテレビがなかったので、大学の視聴覚室で映画をみていた。簡素にブース分けされている図書館のような場所で、語学の勉強をしている学生に混じり、私はレンタルしてきた映画をみていた。
ヘッドフォンをつけて。
明るい照明のもと。笑いを噛み殺したり、涙で滲ませたりしていた。
バイトしたりサークルしたり旅したり勉強したりして、暇のような忙しいような、不思議な日々であった。
色恋もそれなりにあったけれど、他人と比べるものでもないし、重要なのはいつでも(自分の気持ち)だと思っていたので、わりとお子様である。気が向くと盛り上がり、飽きたら距離があいた。
安西水丸さんのエッセイで、午前中は勉強・映画をみる、みたいな文章があって。 映画をみることは勉強だった
好きな映画は何度でもみて、好きな監督の映画はとりあえずみて、古い古典もとりあえずみて、誰か信頼できる人が(いい)と言ったらとりあえずみた。
ヘッドフォンで
私は知らない世界を知りたかったし、
人生の意味も知りたかった
どこかに答えがあるような気がした
映画に噛り付いて、ぶら下がって、浸り切って、しがみついて、何かを知ろうとした
満たされていない訳ではないけど、切実であった
不幸ではないくせに、不幸に惹かれた
何がそうさせたかは、今でもわからない
あの頃。しばらく付き合っていた後輩の女の子に絶縁されたことがある。
彼女はフランス映画が好きだった。
私たちはあんな映画をみたとか、こんな本を読んだとか、夜中に長電話した。この映画のここ壁の色が好き、とか。ジャン・ポール・ベルモントとか。待ち伏せをしたとか。あーでもない、こーでもないと話し続けた 彼女から電話をかけてくることはなかった。彼女は高校を休学していて、その休学の理由は決して話さなかった。彼女はウッディ・アレンも好きだった。ベリーショートで化粧はしなかった。火山をみるために、伊豆大島に行ったことがある。夜中にフェリーに乗り、早朝に到着した。 そんな風に仲良くしていたのに。私が男の人と住むことになったのを理由に挙げて、絶縁を願い出る手紙が届いた。もうメールも電話もしないで欲しい、という旨。
感覚がズレていくのを悲しんだのだろうか、自分はもっと本気なのに私は嗜んで消費するようになるだろうと。私は返事を出さなかった。怒っていた訳ではない。私もやっぱり悲しかった。
今思えば、本気ではなかったと思う。
(レズ)と言ってしまえば生々しいけれど。
彼女の気持ちはそこまで具体的な欲望ではなかった、夢に私が出てくるとか、他愛のないもの。
私たちはお互いではなく、映画や本にしがみついていただけなのだ
イヤ、一方的に絶縁されたのだけど、、、、
…今はもう少し自分に余裕があって。
(学生時代みたいに手当たり次第、時間が許す限りみたいな映画のみかたはできないけれど、)
自分のペースで一本の映画に向かうことができる。
ヘッドフォンでみていた頃と変わらぬ真剣さで。
古い映画に浸ることも、いい本に浸ることもできる
そしてひっさしぶりに(あきさんはこの映画好きだと思う)とか、ピーナッツモンキーさんに言われたりする
映画をオススメされるの、すごく久しぶり^_^
彼女、元気かしら??? …と思い出す
何年かぶりにみる大好きだった映画はやはり大好きだった。それは嬉しいことだった
こうやって
失っていた自分を取り戻すのも良いなぁ、と思う
ヘッドフォンで
映画だけでなく音楽も同じ
グワっと連れもどされて不思議な力に守られる
☆
レジェンドは、個人で銀をとり輝かしい笑顔でガッツポーズしていたのに、団体の銅で堪え切れずに泣いていた
(怪我をしていたから、病気だったから、頑張っているのを知っていたから。なんとかメダルを取らせてやりたかった)という言葉をきいて、こちらも泣けた。レジェンドの後輩たちも、堪え切れずに涙を拭いていた。
尊い人だ。
まさしくヒーロー
レジェンドはヒーローなのだ
テレマークしたり、ジィヤ、ジィヤと効果音付きでスピードスケートしたり、リレーで押す仕草したり。プルシェンコの髪型について論じたり、羽生君の決めポーズしたり(キャンドルスピンやイナバウアーは勿論できない)、オランダのムルダー兄弟がカッコいいんだとのぼせたり、カーリング女子の相手チームの美人さんの話をしたり。してたけど。していた私だけど。
さすがにレジェンドの涙の話は、世間話にできなかった。
軽々しくしていい話ではないだろうと思った。
何というか。ちょうど関東は雪害で大変だったみたいだし。オリンピック中継をはしゃいで見ている人と、それどころではない人がいたことを。わかっているようで、わかっていない。
それに近いだろうか
誰かが(スキーで高く飛んだって、日常生活でどんな役にたつの?)と問うた。
私はそれでも茶化す気にはならないし応援をする
誰かの為に頑張るとか
代表に選ばれるとか
信じるとか
それ自体が尊いことだと思う。