(そのため息の理由をきいて欲しそうだから)
ゴニョゴニョ話す人が面倒くさい。
(自分本位に話すから)
はりきって話す人が面倒くさい。
(テンションが高く、押し付けがましいから)
自信なさげに話す人が面倒くさい。
(言いたい事が伝わってこないから)
几帳面に話す人が面倒くさい。
(言葉通りにしか理解しないから)
イライラとした人と話すのが面倒くさい。
(どっか行ってほしい)
気をつかいすぎる人と話すのが面倒くさい。
(気をつかいすぎて本題が見えにくいから)
だから、率直に話す人が好ましい。
こちらの理解のペースをみながら、ファスナーの凹と凸が合わさっていくように話せる人が気持ちがいい。
「話をする」というと発信するような能動的な行動のようにみえるけど、わりと受け身な行動のように感じる時がある。
結局、相手に望まれた状態でなければ、気持ちのよいプレゼンテーションはないのだろう。
聞きたい人が聞きたいように聞くんだろうなと思う。
潜在的に「耳」が開いていなければ、どんな有意義な情報も理解されない。
合わせるべきは話し手であって、聞き手ではない。
「耳」に届く率直さとは、静かで落ち着いていて、信頼できるような通る声。
「耳」のよい人ほど、雑音に厳しい。
(だからよく自分の声を意識しようと思う)
聞く行為の方が、より能動的で発信していることを自覚するべきだ。
真意が読めたら、その結論のコントロールもできる。質問をすることで、主導権を握ればいい。
話し手は情報が共有できて嬉しいだろう。話した甲斐があるというもの。
無意味なおしゃべりが人を疲れさせたりもするので気をつけよう
殆どのおしゃべりに意味はないのだけれど。
無意味なおしゃべりはパフォーマンスだ。発声練習だ。
聞き手に愛される声でなければ、面倒なだけ。
話し手は常に受け身である