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煩悩。お前は何者か?

日常 読書 浮遊

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  雪の朝、雀が二羽、庭にいる(←シャレではなく^_^

  

  寒そう。雪が降ってるから陰に行きたいけど陰は雪が積もっているから冷たいんだね。葉の下の枝とか細い枝にぴよんぴよんととまっていました。いつもより目のつく所にとまっているので(ぅう、かわいい。。。)と窓に張り付いて見ていると私が怖いのか雀のタイミングで飛び立っていく。私が窓から離れると元の場所付近に戻ってきてぴよんぴよんとしている。ぅう、かわいい。。。夫婦雀なのかなー。。。

 

 ☆

 

  能町みね子さんの本を試験勉強の合間に読んで笑っている。もし電車の中で読んでいたら「…ぐふ」と笑いを堪える感じになると思う。

  文春文庫『オカマだけどOLやってます。完全版』『くすぶれ!モテない系』を読んで、勝手に親近感を持っていたのですが。コレコレ、今読んでいるコレは笑う^_^→講談社『ひとりごはんの背中』1ページ中に5ヶ所くらい笑うポイントがあります。4行に1回のペースです。

  ひとり暮らしの人の家に行ってごはんを作ってもらって一緒に食べる、という趣旨の企画をマンガとエッセイでまとめてある。能町みね子さんはそもそも人見知りで好き嫌いも多いらしい。そんな人が知らない人の家にヨネスケみたいに突撃するなんてスゴイ。テンション低めで良い。ひとり暮らしの部屋っていうのもかなりのワンダーランド。その上、手料理。その人らしさ満載で逃げ場がない(緊張する)

  他人って面白い。

  すごく笑うんですけど変に感動的。

  普通に働いて真面目に生きているだけで、こんなにも多種多様。人間って面白いです。面白くない人なんていないんじゃないかなー。

  

 

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  骨付き唐揚げ定食↑やみつき。

 

  あと、試験勉強しなきゃいけないのに一気読みしてしまったのが『ヤノマミ』国分拓、新潮文庫NHKのディレクターの取材記録。アマゾンの森で裸の部族と共に150日間生活したものです。彼は「隔絶された人々  イゾラド」の番組も担当した。このヤノマミの取材は2009年4月12日にNHKスペシャル「ヤノマミ  奥アマゾン  原初の森に生きる」として結実したようだ。私はまだ見てないけど是非この番組も見たい。

  いやー、すごい。

  内容もすごいけど(ショッキングで良くも悪くも見世物としてみてしまうけど)、国分さんすごいです。観察者としてすごいです。関わる事に対して強い責任感を持っています。

  文明が彼らの生活や考えに影響を与えてしまうので、なるべく少数でなるべく身軽に、影響を与えないように注意しながら取材してます。でもそれってすごく怖いことだと思います。水道も電気もなく、言葉もカタコトで、信じるモノが全く違う場所で、無防備に裸になるようなものです。食事も、体力も、病気も、闇や森も、部外者に対する彼らの偏見も、不安ばかり。生活する上で文明にこんなにも守られている私たちは、ヤノマミからすれば子供よりも軟弱で不全な存在なのでしょう。    裸になれますか?裸の者から裸を問われます「お前は敵か?災いを持つ者か?敵ではないなら味方か?味方なら何かいい報せを持ってきたか?本当は何なのか!味方か?敵か?聞いているか?聞こえているか?」

  価値観、行動倫理、尊厳、ルール、シャーマンの言葉、祭り、死者、名前、精霊、女たち、男たち。

  ブラジル政府は保護区を設けてヤノマミ族を保護しているけれど、それ自体に部族としての未来は無いように思われる。文明は彼らを外側から取り巻いている。読了後、ヤノマミ族と私の相違点や共通点について考える。同じ人間。国分さんのように彼らと生活を共にすれば仲良くなったり分かり合ったりできるのだろうか?豊かさとは抽象的で、幸せという概念もそれ自体が哀しい。豊かさとか幸せとか語りだす時点で哀しい。そんな具体的な世界がその場所には歴然と存在する。

  

  私の感想↑は端的に言えば「哀しい」になるのだけど、それは私が文明側だからなのだと思う。

  うーん、それはいいな、と思うのは、男女の不義があった時に女性が責められないこと。

  1間男は抵抗してはいけない。2間男を殺してはいけない。3妻は制裁を受けない。ルールです。妻は男がリンチにあっていても笑ってみていたようだ。それはそれですごい。。。

 

  あと私が印象に残ったのは、ヤノマミ族は時を語らないこと。「いつ」がない。あったことなかったこと、いたこといなくなったこと、そういう話は歴然としてある。あれば「真」、なければ「真ではない」。

  事件も何年前の話なのか昔の話なのか最近の話なのかわからない。ずっと続いてきた日常の中で、積もっていくのみ。彼らはあっという間に忘れていき、憶えていることだけが「真」なのだ。

 

 印象に残るシャーマンの言葉を引用する。

 ホトカラは、一人一人のヤノマミのようなものだ。

祖先たちの命はホトカラに昇った。

動物たちの命もホトカラに昇った。

風の精霊も、雷の精霊も一度は死んでホトカラに昇った。

彼らは天で私たちを支えている。

私たちが森を守ってきたように、彼らは天が落ちないように支えている。

だからヤノマミの家は丸い。

ホトカラは天にあり、天は丸いから、私たちの家も丸い。

ヤノマミはここからホトカラを見ているし

ホトカラの精霊もヤノマミを見ている。

私が泣いている時、ホトカラの精霊はなぜ泣いたのかと聞いてくる。

精霊が泣く時、今度は私が聞きに行く。

風が止まない時、私はホトカラまで昇っていき

なぜ風が止まないのかと聞きにいく。

ホトカラとはそのようなものだ。

たくさんのヤノマミがいてシャボノ(家)があるように

ホトカラもたくさんの精霊がいるからホトカラなのだ。

精霊はホトカラを支えるたくさんの足だ。

その足は、いつも、地上と繋がっている。

地上とホトカラは繋がっている。

生と死も繋がっている

ヤノマミは森の生活の中で、人間と動物、人間と精霊、生きている人間と死んだ祖先たち、と繋がっている。時には狩りをして殺し食べて、自分たちも屍となり土に還り、一体となって暮らしている。分断されていない。未分化だからこそ見えるもの、知れること、野生のままに選別することができるのではないか。

  進化することは堕落の道かもしれない。

  天真爛漫で残虐で無垢な女たち。選ばれる男たち、選ばれない男たち。色々な性格のヤノマミがいたが、なんとなく修行する僧侶のような趣きもある。森の摂理に従う彼らは、大胆で謙虚だ。

  

  ますます自分の煩悩に苦しむ。

  試験勉強するのが嫌になってしまう

  ザ・現実逃避