マイワンダフルワールド。

  脳の話。
  NHKのドキュメンタリーで立花隆臨死体験について調査していた。

  臨死体験は脳が機能停止すると始めに身体から抜け出して天井から自分を眺める「幽体離脱」と、その後にやってくる絶対的な幸福感を伴う「神秘体験」があるらしい。生死をさまよった様々な人から共通する内容の報告が上がっている。
  研究会や学会で活躍する科学者たちに立花隆が直接に質問をぶつけに行くという内容だった。
  彼自身の著作で「臨死体験」というのがある。その当時は、たくさん調査したけれども「『よくわからない』ままにした」そうだ。今回は自身の病気のこともあり遠い未来ではなく現実的に、死んだらどうなるのだろう、と切実に探究してみたくなったのだと言う。
  
  脳には色々な機能がある。
  その中でも「意識」という自己を自己たらしめるものが、古くから言われる「魂」だったり「心」だったりする。
  「感覚」「記憶」「感情」「第六感etc」を、相互に結ぶのが「意識」
  「意識」をもとに私たちは「判断」し「行動」する。
  この「意識」の信号の結びつきが細かければ細かいほど、数が多ければ多いほど活発に思考していることになる。
  (ざっくり言うと、信号なのだな)

  ざっくり言うと。
  脳機能が停止した状態で。死んだお爺ちゃんお婆ちゃんが「この橋を渡ってはいけない」と言ったり、一面のお花畑が広がるのを「視ること」はオカシイ。それを九死に一生を得た人たちが共通して「憶えている」のも不思議なことだ。感覚機能も記憶機能も停止しているはずだ。
  最新の報告では。脳は停止しているようで、ごくごく微量に脳波を刻んでいるらしい。
  ごくごく微量の脳波で何をしているかといえば、覚醒をうながし、絶対的な幸福感を与える麻薬物質のようなものを分泌しているらしい。
  覚醒をうながされると、夢遊状態になる。動けないのに、起きた状態。感覚は開いているけれど、身体は動けない。これが幽体離脱
  脳の中でも最も古い部位、辺縁系が絶対的な幸福感を死ぬ直前に与えると報告する学者がいた。動物にもある部位(爬虫類にも)雪山で凍死する人が最期に眠りたくなってしまうのはコレだろう。お花畑、これが神秘体験。
  死んだお婆ちゃんが出てくるのは「記憶」が開いているから。何か私に向かって言うかもしれない。それは言ってほしい言葉なのかもしれない。脳が作りあげたビジョンに意味を持たせるのは、自分自身。解釈も幾通りもある。それこそヒトの数ほどある。

  脳神経学者を中心とした報告だったけれど、精神科の先生も宗教家も共に考えていた「死んだら、私の心は消滅してしまうのか。意識はどうなるのか」
  うん、これも。科学的検証の追いつかない部分だった。

  立花隆は感覚と意識が離れる実験を体験していた。目が見た情報「意識」と自分の足の「感覚」をズラすのである。人形の足の映像を「見て」、同じタイミングで自分の足に「刺激を受ける」わかっていてもナカナカだろう。
  
  想像力があるヒトならではの、脳の働きなのかもしれない。「死ぬこと」は生きている限り、最も大きな試練だ。生きてきたことを総動員して立ち向かわなければ乗り越えられないだろう。感覚も感情も記憶も第六感も、全て覚醒して幸せにならなければ、、、死ねない。
  
  想像力があるからミスリーディングもある。
  「感覚」が伝わる時の「感情」を操作されることもある。(痛いのに気持ちいい、とか)
  強く意識することで、実際に受ける感覚を変えてしまう人もいる。(熱いのに熱くないと思い込んだり)
  先入観がありすぎるために、脳は実際とは異なった世界をその人に見せる。


  現実が辛すぎて夢の世界に行ってしまう人もいる。
  感覚が敏感過ぎてこだわりが強くなってしまう人もいる。
  

  未知のブラックボックス、脳。


  臨死体験なんかをもしも実際に体験しちゃったら、、、、世界観が変わるだろうな。
  生きてきたことの総決算だ、と自分的に納得した。立花隆も「死ぬのが怖くなくなった」と番組の最後に結んだ。

  ちゃん、ちゃん。


  ☆

  自分が見ている世界とあなたが見ている世界は少しづつ違っている、、、みたいな事を村上春樹は書いていた。
  「冬の夢」スコット・フィッツジェラルド著、村上春樹訳。中央公論社。2009年。を読んで思い出した。

  男の子が女の子に恋をして、大人になる話なのだけれど、短編ならではの鮮やかさがあって「やるなぁ!」と思った。
  主人公の男の子がみる女の子は、とんでもなく美しいのだ。
  他人からすればそれほど美人じゃないのかもしれない、、、(…なんとなくそんな風に思われる)平静を装いつつ、逆らえない様子や、とんでもなく思わせぶりな女の子のセリフや、嘘だとわかっていても騙されていく感じが、狂っている。平静に書かれていればいるほど狂っている感じがする。
  
  実際に見たものしか信じない、実際に聴いたことしか信じないのだとしても、脳が見せている夢だとしたら???

  どんなに冷徹に観察しているとしても、あなたが見ている世界と私が見ている世界は違うのだろう。。。
  
  立ち上がってくる冷気のように実感し震えた。
  
  言いかえれば、ミスリーディングしない脳はない。
  りんごはりんごではなく、私が見るりんごとあなたが見るりんご。
  どんな風に見えているのだろう

  
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  マンガだけど清水玲子の「秘密」もすごい。
  死んだ人の脳をMRIにかけて捜査する物語。音声は再現されず映像だけで捜査する。
  うん。でも近い将来ありそうな話。

  かっこいいと思う男の子を写真で見たらそれほどかっこよくなかったり。
  電車に映る自分の顔がものすごく疲れて見えたり。
  憧れの人だけは人混みの中でもすぐ発見できたり。

  ヒトの目は、多くの雑多な情報から優位優先して情報を選ぶ。
  見えないものを見たり、見ているものを見なかったり。意識せずとも無意識に行っている。感情や経験によって。

  
  
  

夜中のベートーベン。

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  庭のランタナの花の色が鮮やかだった。

  昨日は朝から山に登り、昼寝して、夜は友人宅の鍋に呼ばれた。

  …という風に書いても、心が重たい。

  適度に運動して汗かいて、美味しくゴハンを食べて、友人と話しても、なんだか心が重たい。

  
  、、、どんよりしてしまう。

  今の仕事をこのまま続けてもいいか、迷っている。
  
  自信が無いのだと思う。

  
  昨日、私の隣に座った女の子は新婚旅行から帰ってきたばかりだった。ボルネオとコタキナバル5日間。式の写真も見せてもらった。若いしスタイルいいし、気のつく感じのいい女の子。
  「いいなー」と話してたら本当に羨ましくなってしまった。いいなー。

  違う人と酔っぱらいながら「北欧っていいよねー」という話をした。その人は福祉と教育の充実に強く憧れていて、今の日本は滅びの道を進んでいると語っていた。エコロジーな生活や遊びなんかも考えている。
  私はもっと単純に憧れている「皆が自由を許されて、自分の世界を深められて、尊重しあえたらいいな」

 
  ボルネオ新婚旅行の若い女の子は、ちょっと元気がなかった。元気がないように見えただけかもしれない。
  後から聞いた話だけど、その場にいた40歳男性に仕事のことで衝突したらしい。
  彼は市の職員で、彼女は団体の事務局だった。
  素人が簡単に考えるようなこともある。ファジーな提案が許せなかったんだと思う。無理だったんだと思う。
  でももっと。違う言い方があったんじゃないかな、と私はつい思ってしまう。彼女は「すいませんでした」と目を赤くして提案を持ち帰ったそうだ。

  楽しく気持ちよくアレンジできたらいいのにな。

  その40歳男性も鍋をつつきに来るからには、少しの後悔があるのではないかと思う。

  都会とは違って。どこかでまた顔を会わせる人たちなのだ。イベントが終わったから「それでおしまい」にならない。イベントの後にも生活はある。明日も、来月も、来年も。今が良くたって5年後の私たちはどうなのだろう?家族は?お金は?健康は?

  少しづつ、自分のイメージを取り繕って、優等生の顔になる。

  幸せな女の子を演じ、頑張っている働き者を演じ、夢を語らう。

  自虐のギャグを笑う「あたしなんかさー」「それ、マズイよね」
  
  
  一緒にいても、なんか遠い。

  
  それはそう。決めるのは何もかも自分なのだから。

  

  たくさん食べてたくさん呑んだのに、夜中に眠れずYouTube小沢征爾のドキュメンタリーをみていた。
  
  


  ベートーベンを聴きながら眠った。
  ピアノが鮮やかだった
  


曖昧な態度でお茶を濁す。

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  灰色猫と牛夫。

  牛夫は成熟したオスで、灰色猫は去勢したオス。牛夫は世間知らずな若いオスで、灰色猫は臆病な年寄りオスであります。

  一見、仲良しに見えるこの図柄。

  灰色猫は牛夫を追い出したくてたまらず、
  牛夫は友達付き合いなのか求婚なのか、しつこく迫っています。猫キスで挨拶、飛びかかってくる。
  ホモなんじゃあ?

  灰色猫は馬乗りで撃退。しかも私の加勢を期待する小賢しい作戦。人間がいると途端に強気になる。

  

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  猫って、、、、

  
  ま。牛夫君の方が若いし、強そうだけど、灰色猫も曖昧な態度だから、付け入られるのだよ、、そこんとこ、どーなの?

  牛夫君は健気に日参。
  人間に追われても、一途に呼びにくる。
  なんか報われないヤツ、、と同情する。

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  全く通じてないけどね。
  ラブリー^_^

耳の外殻、下唇。

  秋だー!秋だー!と浮かれて山へ。その2。

  一昨日は右田ケ岳でしたが、今日は陶ケ岳から亀山。
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  桜。

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  小屋の中に神様(?)がいた。気持ち良さそうー。

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  (火の山)というと、修行場のイメージが強いけど、山楽山歩と書かれるとウキウキしてしまう。

  初めて通る道もあったけど、小さな岳の連なりで登りやすい。海に向かって歩くので風も爽やか。ロッククライミング発祥の地ということで、岩が多い。
  なんか「良い」岩なんですよね。
  歩きやすく、あったかい。一休みするのにすごく気持ち良いです。甲羅干し。
  プールで泳いだ後の「あったかさ」に似ている。

  それにしても「崖なんじゃないか?」と思うようなコースが多かった「あれ?道だと思うものがなくなった」ということが2、3回…。危険。
  親切なおじさん達が通り過ぎた私が迷っているのが見えたらしく、戻ってきて道を教えてくれた「こっちこっち。右の方」「そうそう。わからなくなったらわかる所まで戻ること。鉄則だよ」…「どっから来たの」「往復⁈、、、若いよなぁー」「元気だなぁー」

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  あちらは海です。
  きららドームだっけ?白いやつ。橋も掛かってます。
  こちらの海は潮の匂い、磯の匂いがありません。きれいな海なのでしょうね。
  海から吹く風って、洗いたてという感じ。

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  ペタッと岩に座って風にあたっていたら、猛禽類の親子が飛翔訓練してました。
  上昇気流。滑降。翼を広げて

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  すっかり  見惚れてしまいました。
  風に乗るのって気持ち良さそう!!




  
  …しまった。双眼鏡を出せば良かった。すっかり単なる「荷物」に。

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  エネルギーが切れそうな予感がしたので山頂まで行かずUターン。山でエネルギー切れはしんどい。水分をしっかりとりながらゆっくり復路。
  
  同じ道でも。帰り道の方が不思議キノコによく遭遇する。目線が違うのでしょうね。ホットケーキみたいなキノコがありました。
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  その他。
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  蛇もいた。
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  道を教えてくれたおじさん達が陶ケ岳山頂で話しこんでいた。多分、気持ち良すぎて動けなくなったのだろう。うんうん。わかるよ^_^
  夏から秋に変わる時の風って、ホント気持ちいい。冬から春に変わる風も気持ちいいけど。
  「おつかれさん」「亀山まで行ったの?」「やっぱり若いからなぁー」「元気だなぁー」、、、そんなに若くはないけど。おじさん達からすれば二十代や三十代って、同じなのだろう。私が六十代と七十代の区別がつきにくいように。
  大きな目で見たら、年齢ではなくて元気か元気でないか、ってことだろう。
  若いのに年寄りみたいな人もいるし、年寄りなのに凄い人もいる。

  エネルギー切れそうで辛かったけど、おじさん達の前でハツラツと「それじゃ!お先に失礼しまーす」と挨拶した。精一杯の笑顔で。
  顔がザラザラする。ついに汗から塩を蒸留してしまったかも^_^ラーメン食べたい・ラーメン食べたいとリズムを刻んで下山しました。

  
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  よく眠れそう

曲がりくねった道。

  秋だー!秋だー!と浮かれて山へ。
  晴れていた

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  山登りはすごく久しぶりなので慎重に始めた。
  山登りだけでなく、運動不足。運動が久しぶり。ジョギングずっとしてない。ヨガもサボりがち。

  ゆっくりと登った。

  
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  いつのまにか知らない道に入っていて、観音様がいらっしゃった^_^
  ふぅふぅいいながら登って見上げるといいお顔だったりしてありがたい気持ちになる。
  季節によっても道は変わるから、山って面白い。

  歩いているとしんどくなる。
  なんだ、まだ夏じゃんか、、、アチいよ…(暑くなる前に出発すればいい話。朝寝坊が好きなんです…)

  頭が煮えてきて、汗ビッショリになり、日焼け対策の化粧も落ちて、デング熱もたくさん飛んでるし、オデコが何かに刺されて膨れてるし、、、。途中、若干、ヤになった。

  そうは言ってもこの空の色よ
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  木陰に入ってしまえば涼しい。
  吹きわたる風が気持ちいい。

  メジロちゃんがすぐ側まで来た。癒され〜
  やっぱ可愛い。小鳥ちゃん可愛い。

  花屋で働いていた時には、肉体労働だったので休みの日には休んでいた。外出するのはいいけど、屋内希望。休みたい。
  今はデスクワークなので、休みの日は運動したい。バランスなのかな。

  山登りって、自分にとってはプラクティス。
  わりとストイックな気持ちになります。
  落ち込んだ時は必ず山。
  自分自身を見直して、一歩一歩進んで、汗かいたら自分を蒸留した感じになる。
  自分の純度をあげてくれる。
  何が自分にとって大事なのか、静かに自分と向き合います。

  ゆっくりと登っても頂上。
  ヘトヘトになっても頂上。

  仕方ない、私はサボっていたのだ(えへん…いばる)

  ご褒美に。タッパから梨出して食べた。
  梨、美味い^_^

  すぐさま下山。もぅ疲れた。帰ってシャワー浴びて本読みながら昼寝しよー。
  …と言いつつ、遠回りコースを選ぶ。
  蝉が鳴いてても、やっぱ秋。
  気持ちいいです
  蝶の来た道を進む。

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  一休みしたら、動けなくなった。
  ヤバイここ気持ちいい

  カラフルな虫たちがたくさん。
  鳥の声。
  この木陰、ヤバイ!!!

  昼寝したい!!!

  




  猫がでんと構えるように眺望を楽しみ、風を楽しみ、眠りたくなった
  これこそ最高の昼寝なんじゃないか
  



  (寝ませんでしたよ)

  
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  帰り道。橋が崩れていた。
  (自己責任でご利用ください)の張り紙も褪せてしまって、もう読めない。
  丸太があるから渡れるよ^_^

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  木洩れ陽こもれびが好き
  間接照明みたいなものかな。適度な木洩れ陽にウットリとする。

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  彼岸花も咲き始めました。
  彼岸花的にお彼岸までモツだろうか
  今年は狂い咲き(本来の時期ではないのに咲く花)している花が多い気がする。
  彼岸花は狂い咲きしてほしくない花の筆頭。彼岸の花。


  ☆


  いつでもそこにいるのがあたりまえ

  いつも変わらずにいてほしいというワガママ

  ある日ふらりとブログを閉じてしまう人もいる

  もちろん私は自分のために書いている。何故日記ではなくブログを書いているかといえば、誰かに読んでほしいから。

  知らない土地の、知らない顔の人が定期的に私の文章を読んでくれるって、すごいことだと思います。

  片手間に書く人も、嘘ばっかり書く人も、(性能・技術)のために書く人もいるかもしれない。

  けど、
  私が読みたいのは
  蒸留した純度の高い個人なのかな、とふと思った

  迷っていても間違っていても自信がなくても、悔しくて怒っていても、昼寝してても。

  ちょっとしたことでもいいんだよな
  
  うん。だから。
  (そういうのが読みたいんだよなー!)と思って書き始めたのが「始まり」だったことを、今思い出した。

  読みたいから、書き始めたのでした。


  ズルしても真面目にも生きていける気がしてた
  いつかまたこの場所で君に巡りあいたい
  君を忘れない


  
  

失恋したって、同じ朝。

  職場にて。
  隣の席の松田さんが、盛大・特大なため息をついた。
  「松田さん〜、そんなため息。幸せが飛んでっちゃいますよ?」

  「幸せを一人占めしたらダメでしょ?ずーーーっと、幸せな人なんか、おらんよ。幸せは皆に少しづつ。幸せって、巡るモン。巡り巡って、また幸せよコンニチハだよ」と言われた。

  おぅ。松田さん、かっこいい。
  「私。でも。ずっと幸せがいいな。るん」と言ったら、、、
  「                   」
        ……      十分な間があって、

   「何を幸せと思うかよね。、、何も無いのが幸せなのかもしれん」と言った。

  確かに。

  忙しい時には、自由な時間がありさえすれば「幸せになれると思っていた」

  暇な時には、夢中になれることがありさえすれば「幸せになれると思っていた」

  片想いの時期は、両想いになりさえすれば「幸せになれると思っていた」

  両想いの時期は、結婚すれば「幸せになれると思っていた」

  家族ができれば「幸せになれると思っていた」

  皆が幸せになれば「幸せになれると思っていた」

 



  離婚して、家族が亡くなって自由になる人もいる



  強いのか弱いのかわからない松田さんをみて、

  松田さんには「私の幸せはわからないだろう」と思った。それはそう。私には松田さんの幸せはわからない。

  


  
  人並みの人生を生きることはもしかしたら「幸せ」なのかもしれない。
  でもきっと。私にとっては、幸せではない。


  「欲望を満たすこと」イコール「幸せ」ではない。
  「足りない」から、わかることもある。
  簡単に手に入る両想いなんて、願い下げ。
  恋しい気持ちがないなら、一緒にいる意味はないもの。

  
  失恋の夜にも朝は来て、
  昨日と同じ顔をして出勤する

  「恋しい」気持ちは変わらずに
  わかったような顔をして

  自分が何に対して傷ついたのか傷つかなかったのか、
  (付き合ったあげくの別れではないから)
   
  反面、まだこういう片想い的な行為もできるのかと自分自身に感心しつつ、、、

  やっぱ(恋しい)よね。

  (恋しい)気持ちって、変わらないよね。と、ため息。


  いっそ。こっぴどく別れた方がよっぽどスッキリする。



  遊びも本気もないから。いつしか遊びが本気になるから。
  暇つぶしで遊びませんから。
  つまり、いつでも本気になる覚悟あります。

  …と思いつつ。

  
  自分が自分らしくあれば「幸せ」

  自分を曲げずに恋できたら「幸せ」

  一面的であっても他人から愛されることができたら「幸せ」

  足りない時でも足りないことを楽しめる自分ならいいな、と思う今であります

  (携帯を気にしてしまう自分が女々しい)

  

満月の夜。

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  すんごいドキドキしながら告白しようと決意した。

  んまぁ。どーでも。
「友達」のままでも良いのですけど。

  「恋しい」気持ちっていうのですかね。
  一緒に過ごす時間は、他愛もなく無為に過ぎるけど
  離れると「恋しい」

  あの話をしよう、この話をしようなんて考えない。わりとテキトーにしてしまう。

  でもなんか一緒に過ごしたいのです。

  大袈裟な言葉も使わず
  「素」になってしまうので
  ものすごくノーガード。

  「変なヤツ」と思われても仕方ない。
  っていうか、実際「変なヤツ」なのだろう。無自覚だけど、「変なヤツ」。で、悪いか!…逆ギレ。

  ☆

  用件がすんで
  電話を切ろうとする相手に「切るんだ」とモジモジ。

  「だって話すことないじゃん」
  「話すこと、ないんだ」とモジモジ。「ほら一週間で変わったこととか」「ないなぁ」「んー、わかった」
  「じゃ、終わりじゃん」「ほら。切ろうとするよね」「話したいことあるなら話しなよ」


  「んー。(ドキドキ)…好きな人っているの?」


  「んー。好きな人、たくさんいる」

  「え、たくさん?」

  「うん、実は。一週間で変わったこと、実はあって」「うん」「実は告白してた人から返事もらって」「うん」「オッケーだった」
  「うん」
  「うん」
  「それは」
  「あー」
  「おめでとう」
  「!ありがとう。うまくいくかわからないけど」
  「え?うん。相談とかのるよー。女心とかわかんないけど」
  「うん。ありがとう。またごはんとか行こうね」
  「うん?でも大丈夫かなー。女心的に。わかんないけど。そういうの」
  「え?ダメかな。友達だし」
  「んーダメな人もいると思うよ?わかんないけど。大丈夫な人だったら。ま、できる範囲で」
  「うん。できる範囲でってことで」
  「うん、わかった」


    概略。こんな感じ。
  告白までいかないけど、一歩踏み出してふられたテイです。
  「友達以上」で踏み出してふられたこと、前にもあったなぁー、と思いかえす…。デジャヴ。

  でも妙に女性に優しいのは罪だよね。「好きな人たくさん」のうちの一人には私も含まれているだろう、、ってなんとなく思ってしまう。…でも「たくさんいる」って何だろう…。

  「うまくいくかわからないけど」「相談にのって」ね、と後ろ髪ひくあたり、いいような悪いような…。あー、変な汗かいた。蚊にさされた。ドキドキした。
  
  私、昔から男の趣味悪いです。

  うん。私が悪い^_^



  ふられました!!!