「詩の本」

『詩の本』谷川俊太郎集英社。2009年。

 

  詩の本なのだけど、気取ってなくていい。肩の力が抜けている。猫が伸びをするように寛いだ言葉たちだ^_^

  年を重ねると気取るのがカッコ悪く思えてくる。私よりさらに先輩にあたる谷川さんはこのような境地なのだな。飄々としてカッコイイです。

  昔から率直な印象の谷川さんの詩だけれど、良くも悪くもおじいちゃん染みた、堂々とした詩集である。うーむ、素敵だ。

 

  まずはページを開いてほしい。

  白い表紙の本、真っ赤な紙の見返し、扉も赤色タイトル、めくるとすぐに一片の詩がある。「いまここにいないあなたへ」という9行の詩。手紙のようでもあり、献辞のようでもある。うーむ、憎い。憎からずや

 

  それで、あとがきのあとに目次がある。

  うーむ、エンドロールのように余韻が。憎い。あなたが憎い。憎からずや

 

  ☆

 

  新しい詩

 

ぼくの新しい詩が読みたいんだって?

ありがとう

でも新しい詩ならいつだって

きみのまわりに漂っているよ

 

きみは言葉を探しすぎてる

言葉じゃなくたっていいじゃないか

目に見えなくたって

耳に聞こえなくたっていいじゃないか

 

歩くのをやめて

考えるのをやめて

ほんのしばらくじっとしてると

 

雲間の光がきみを射抜く

人の気持ちがきみを突き刺す

オーロラの色がきみに感染する

 

きみは毎朝毎晩死んでいいんだ

新しい詩をみつけるために

むしろ新しい詩にみつけてもらうために

 

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「パターソン」をみた

This is just to say

 

I have eaten

the plums 

that were in 

the icebox

 

and which 

you were probably

saving

for breakfast

 

Forgive me

they were delicious

so sweet

and so cold

 

 

  ごめんなさい

 

アイスボックスに

入ってた

プラムを

食べちゃった

 

それは

多分きみが

朝食べようと

冷やしておいたんだろうね

 

ごめんなさい

とっても美味しかった

とっても甘くて

よく冷えていた

 

良い詩だと思う^_^

これはウィリアム・カルロス・ウィリアムズの作品です。

思いがけず再会してしまった。

ジム・ジャームッシュ監督の最新作(パターソン)である

https://youtu.be/kpruzhc1zMY

 

ロードムービーというか、(ストレンジャーザンパラダイス)のイメージが強い。

たんたんと、過ぎていく映画。

 

主人公の男の人の感じが良いなーとフラッとみたら、詩を書いていて

それがギンズバーグやらウィリアムズとかエミリ・ディキンソンまで出てきて、フランク・オハラの名前まで出てきてシビレた^_^

何のインフォメーションもなく気まぐれに映画館に足を向けるとこのようなミラクルがたまにあるので堪らない。

ギンズバーグやウィリアムズやディキンソンはそこそこ有名なので、まだわかるけど。フランク・オハラのランチポエムズという詩集は、もうなんかシビレた。オハラはニューヨークのモマで学芸員をしていたけど、ちょっとした詩を書いていて。詩集を出したけど、薄くて小さな小冊子みたいなものだった。ウィリアムズはパターソンで医者をしていた。

この映画の主人公はバスの運転手をしている。

 

愛する女性がいてラブポエムを書く

マッチボックスの詩だったり、唄の一節に言及したり、日常が詩の世界に入り込んでいて、日常が美しく輝く。

ちょっとした会話が趣き深かったり、バスから見える光景きこえてくる会話が詩的だったりする。風景が美しい。

奥さんにキスする感じがいい。愛しているよ、というのがよく伝わってくる。良いキスである^_^

 

パターソン、ニューヨークから近いみたい

行ってみたくなった

何が起こるわけでもないけど

私は好きだ

この映画

滝の見えるあの公園、あそこのベンチに座って真っ白なノートを開いてみたい^_^

 

 

 

 

文化の日、スペインフェスティバルやってた、子猫を貰えるかもしれない

  ミレニアムを読んでいる。スティーグ・ラーソン

  ドラゴン・タトゥーの女というタイトルで映画になりました。

  なかなか惹きつけます^_^

 

  謎めいていて

  反骨で

  日常的な退屈があって

 

  強いのがカッコイイ

 

  続編があるのが嬉しい

 

  作者がすでに亡くなっているのが哀しい

 

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  今日の夕暮れ

 

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  落花生の収穫。

 

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  猫の兄弟

黄泉比良坂

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  黄泉比良坂。

  ホントにあるんだ〜、という感想。

 

  9月の終わりに旅に出た。

  島根県。松江。である^_^

  隣りの県ではあるけれど松江は思いの外遠かった。。。松江城もいった。玉造温泉にも入った。宍道湖もみた。しじみも食べた。

  良いところだな松江^_^

  ちょっと金沢っぽいです。上品な裏日本。のんびりとしています。

 

  足立美術館にも行きました。出雲そばも食べました。

  けれど思い出す時何故かこの黄泉比良坂が気になるんですよね。なんでもない岩なんですけど。

  鳥居があって。

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  あの世にいる人に手紙がかけるようになってます。

  ヤマモモの木もあります。

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  ハイキングコースみたいに看板が出てます。

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  ひぇー。

  あの世にいるあの人に会えるかもしれない^_^

 

  ☆

 

  神話の国。

  小泉八雲の記念館なども立ち寄りまして。ますます神秘的な光景を見たいと思うのでした。

  温泉につかって。

  なんだか生まれ変わるような気分になるのでした。

  自分なんてしごくちっぽけだと思うのでした。

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  小泉八雲いいな。

  最近、怪談噺にハマってます

 

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独断と偏見で決めろ!

  読んだ!

  『登頂  竹内洋岳』塩野米松、筑摩書房。2013年。

 

  相変わらずの竹内熱。

  プロ登山家の竹内さんが13座と14座に挑戦するあたりを重点的に書いています。

  私は立派な「にわかファン」です。ごめんなさい。予め謝っておく…さて…、えっと、誰に対して?^_^

 

  この本の書き手の塩野さんも上手です。インタビューと竹内さんの個人ブログと衛星電話での通話記録で構成されていて、臨場感があって読みやすくまとめられています。

  竹内さんのインタビューだけではなく、パートナーのインタビューもあるので、それがまた非常に良いです。竹内さんってもう突き抜けちゃってて、そして強いんです。強いからこそ仲間に対して言わなきゃいけない事もあって。仲間にしかわからないその場の状況とか決断とか想いってのもあるんです。弱いからこそ仲間に対して思う事もある。体力的に極限状態ですからお互い。それが「記録」として上手にまとまっているなと思いました。両者の本音、みたいなカタチで。表向きと葛藤と、尊敬と悔しさと嫉妬と憧れと、ノンフィクションならではの「記録」ですね。

 

  竹内さんにとって、多分、山にいる時は常に自己分析なんです。誤魔化せないんです。

  体力、集中力、判断力、エネルギー量。自己の体調は常に冷静に観察するようです。

  体外的な要素「こうだったらいいな(天候)」「きっとこうだったらこうしてくれる(パートナーに対して)」は、下手に期待しないんです。冷静に判断して、ブレるような時や迷う時は、あえて最悪な状況を想定する。

  その分析は客観性がなければ他者を説得できないので、最終的に自分の「感知能力」に寄るとしても、なんだかすごく公正な判断のように聞こえてしまう。おつげのようなもの。多分後からいくらでも分析したり解説したりできるけど、その場ではもう身体が勝手に反応するのかもしれない。

 

  8000メートルの世界。

  つまり、2900から3000フィート。飛行機が順調に安定して飛行する世界なんですよね。

  飛行機から自分が出ちゃったら、五分くらいで意識を失って十分くらいで死んじゃう環境です。8000メートルの環境に入って行ける生き物って、アネハヅルとインドガンと人間だけなんですって。アネハヅルは渡りのために上昇気流にのって、仮死状態になって、超えて行くらしいです。本来生き物が入って行けない世界です。空気は平地の三分の一。気温マイナス20度から30度。

 

  「行きたい」「行けるかも」「できるなら一緒に行きたい」

  そういう期待は持ってもいい。ただ登頂するだけならできるかもしれない。もし、登頂した後、死んでも構わないなら。

  8000メートルの死と隣り合わせの世界で仲間を亡くした経験のある竹内さんは、自分に対しても他人に対しても厳しい。リラックスしている時も真剣な時も、外面も内向きも、天気や自然環境も、全部ひっくるめて本当に行けるかどうか想像している。

  そしてやっぱり生きて帰ってこなきゃいけないんだ。

  https://youtu.be/5YQyvjdN_KY

 チョー・オユー  サミットプッシュ

 

  途中で竹内さんに「君はここまで。(僕が)帰ってくるのをキャンプで待っていてくれ」と言われた場面、壮絶すぎる。もしも私だったらと想像すると、情けなくて死にたくなるんじゃないか。けれどチャレンジした気合いとか悔しさとか恥ずかしさとか、その後の生き方に間違いなく影響するだろう。

  例えばイモトとか三浦さんとかシェルパひきつれてヘリ使って酸素使ってより安全に登山する企画もある。それなりのチャレンジだと思うし、ケガされたり死んでもらっては困る。まぁそれは登山というより(企画)です。サポートする人が多ければ多いほど、なんで山に登るのかという基本がボヤけてしまう。自分が登りたいから登るんですよ。文句言いながら登るくらいなら登るのを辞めたらいい。本当に。

 

  いやー、

  人間に生まれたんだから頑張らなきゃダメだな。なんにしても。

  情けなくて死にたくなるまで頑張らなきゃダメ。

  怖いくらいに綺麗な景色の中で。

  見たことのない世界で。

 

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美しいルート

  『だからこそ、自分にフェアでなければならない    プロ登山家・竹内洋岳のルール』小林紀晴幻冬舎。2014年。

  一気読み!!

 

  竹内洋岳さんは、日本人初、世界で29人目の8000メートル峰14座完全登頂したスゴイ人。テレビ番組クレイジージャーニーにもゲストで出てました。

  小林紀晴さんは、写真家。

 

  八ヶ岳天狗岳に一泊二日で2人で行く。密着インタビューとしたら贅沢だ。そして写真が綺麗だ。モデルのようにスラリとした竹内さん、超絵になります。

 

  クレイジージャーニーをYouTubeでみた時、「この人スゴイな…」というのと「この人ちょっと変だな…」というのが同時にあった。書籍で手に取ると、その度合いが倍増する。揺るがなさが凄まじい。スゴイのと変なのと軽やかさで、もう付いて行きたい、カッコイイ^_^オシャレなんですよね。スタイルって大事だなと思いました。

  多分、書き手の小林さんもヤラレちゃってる。予定調和的な一言なんか絶対くれないもの。こんな事きいたらダメかな、と逡巡してたりするけどそれがもうすっかりファン目線、私目線なんだもの。そうさせてしまうほど、なかなかにカッコイイです。キュンキュンです。思わずインスタフォローしちゃいました^_^

 

  もちろん14座の話もたくさん出てきて、そのひとつひとつが尋常ではない。クレイジーです。

  私が面白いなと思った章は「経験は積むものではなく、並べるもの」「社会や学校は8000メートルみたいなもの、適応できなかったら逃げろ生きるために」「人は死なないようにできている」「死んでいくことを記録しろ」「自分の足で下りてこないのは死んでいるのと同じ、だから下りるために下り直しに行った」「考え続けることによって自分を保つ」「美しいルート」

  山の話をしているようで、これは生き方の話だ。

  

  雨の八ヶ岳を登っているのに、なぜか竹内さんの靴は汚れないと小林さんは観察する。爪先も側面も汚れていない。腕の良い職人のように仕事が綺麗だそうな。

  「いつも、滑りそうだと思いながら、そっと足を置く。できるだけ平らに、まっすぐに」

  「足を上げる高さもできるだけ減らします」

  「足音が大きいということは、それだけ無駄に体力を消耗してることになります。雪山ではアイゼンで雪の上を歩いた跡をみると、わかります。足跡がきれいでない人は余計な体力を使っています」

  「(ふだんはメガネだけど山ではかけない)ぼんやり見えていれば大丈夫。足元ではなく、もう少し先を見ています。次の次の足を何処に置こうか考えながら歩いてます」

 

  興味を持って、好奇心のままに

  色々なものを感知して、「運」のせいにしない想像力を持って

  考えて

  未踏の地へ

 

  未踏の地へ、私も行こう

  

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耳を澄ませる

たとえば、シュレッダーにかけられた文書を復元することはできなくても、裂かれた膨大な紙屑の山の中の小さな一片に残された文字を見つけただけでわかってしまうことってある。そこに書かれていたもの、伝えたかったこと。

  たくさんの言葉を聞き漏らし、たくさんの合図を通り過ぎてきた。たったひとことから得られる情報など、取るに足らない量だろう。だから正確にいえば、わかった、という閃きも錯覚なのかもしれない。それでも、私たちはそこで何かをつかむ。大切なことを知る。ほんとうは私たちが手にした以外の部分が重要だったとしても、どこに何が書かれていたとしても、いちばん知りたいことに私たちは出会うんだと思う。

  「窓の向こうのガーシュウィン」宮下奈都、集英社。2012年。

 

  「思い込み」とか悪い意味で使うことあるけど、思い込みをさせるほどの合図など、私たちは足りてないというか。遠慮しあって清潔に踏み込まずにいるのではないか。

  なんの先入観もなく、出会えることは楽しい。

  うまいタイミングでうまく出会うことは、難しい。

  

  こないだチェコ好きさんの「想像力の向こう側」という記事を読んで、それはそうだと深く頷いたのだった。

  (記事の中に出てくる彼は銀座の料亭で贅を尽くしている自分を上手く想像できない。知っていることしか想像できない。想像できないことは実行できない。翻って自分の事も。自分だったらこうするけどなーという案も、ある人からすれば「え?」と思われてしまうほど想像力に乏しいアイデアかもしれない、だからまだ知らないことを悔しいと思う。そして既に自分が知っていることは尊いと思う。そんな内容)

 

  果たして。

  自分は、どれだけ知らない事に対してオープンだろう?

 

  食とか旅とか経験とか、興味を持ちやすい分野だと思う。そのジャンルの中でなら「知らないことに出会うこと」は簡単だ。知らない料理や知らない国はごまんとある。

 

  あまり馴染まないジャンルでも、性とか死なら興味がわく。精神病、戦争、政治、宗教、差別。文学では、ギリギリのラインに迫るものもあって。病める罪悪感も少なく疑似体験することができる。文学だけでなく、映画やドキュメンタリなら、生々しく、または生々しくなり過ぎず、想像することができる。

  想像力を超えて体感してしまうのは、ちょっとアブナイ。

 

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  でもやっぱり。

  わかりたいんだと思う。

 

  わからないことに対して積極的にわかりたいと向き合うことは難しい。

  自分でわかる範囲の想像力の中でしか選ばない。

  全くわからない中で、人は楽しむこともできないし、受け身でしかいられない。積極的になれない。

  従順に受け身で経験を積んだとして、本人に達成感はあるだろうか。

  オープンなのは最初の一歩だけ。

 

 最初の一歩で手ごたえがなければ、興味を失い、ただの壁になるだろう。道ですらない。何の奥行きもない景色になるだろう。

 

  閃きも錯覚もなく情報だけを操って、

  出会いをやり過ごしていくのだろう。

 

  時間は圧倒的に足りないのかもしれない。

  でもゆったりと。

  誰かの言葉に耳を澄ませることができる自分でありたい

 

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