映画を批評しようとしている場面で、信用してはいけない言葉。
・テーマが見えてこない。
・人物が描けていない。
・ストーリーが読めてしまうからよくない。
・エンターテイメントとしたらいい。
・芸術作品としたらいい。
・登場人物に感情移入できない。
・ある社会をよく捉えている。
「深い」とかもダメ。
「面白い/面白くない」といった感想だけではもちろんダメなんだけど。それが印象批評であってもテクニックの批評であっても、その複合型が望ましいのだけれど、自分が「面白い!」と感動した理由をキチンと述べてないとダメなんです。
自分が好きな映画の感動を、あなたにもわかってほしい。そこから始めるべきなんです。
上に列挙したダメなワード。
自分がその映画をちゃんと読めてないのかもしれないという疑いを、全く差し挟んでいないのです。そうでしょ?
バッチリわかりやすく表現してないからよくない映画だ、と評するのは幼稚。曖昧に「深い」と評するのも、印象批評の下の下。「深い」と評して、そこで思考はストップする。
登場人物に感情移入する必要ってあるのでしょうか?ああ、こういう人もいるんだってことで済むハズ。
エンターテイメントと芸術を分けて考えるのも嘘っぽい。どちらにしても、何だか馬鹿にしている印象が残る。
テーマは必要ですか?
当然のことではあるけれど、同じ映画をみていても、一人一人見えているものが違います。「見えない」「わからない」「感情移入できない」と騒いで「つまらない」と結論するのは、ちょっと考えた方が好いかも。
ちなみに。
個人的主観だけで「この作品が好きなんだ!」という熱情を持って、ある程度みんなにわかるように紹介している文章は、好いです。具体的に感動したところを紹介してくれたり。列挙で構わないのです。それだけ間口が広がるから。
もはや批評ではないのかもしれないですけど。
主観と客観って、なんなんだろう?と思ってしまいます。
主観で、全く逃げずにその作品と向きあうことは、自分の言葉に向きあうことで。一抹の悔しさもあると思う。自分が言えなかった言葉を、作品は表していたから。そして、さらに客観性を持たせて「伝えたい」と思うこと。
私の独断ですけど。そういうものこそ、読む価値があると思う。そういうものこそ読む価値がある。
再度、ちなみに。
落とし所の無い方が好い。中途でストンと落とされるような、あっさりとしたシメがいい。
余韻というか。取り残された私は、映画を何度もみるだろう。文章を何度も読むだろう。それこそ目論見通りである。
再再度、ちなみに。
ある方がブログやめます宣言をしました。冗談も面白かったのですけど、なにより批評が面白かったのです。たっぷりな愛情こもった批評。こんな日が来るなんて。残念です。好きだったところをプリントアウトしちゃおうかなぁと一瞬思ったけど、やめました。それは彼の望まぬことでしょう。
私はぐるぐると彼の言葉を考え、もしも自分だったらと考えました。自分で話した言葉も他人の言葉にふちどられ、上書き保存を繰り返していたような気がします。間違いなく言葉が、私の血肉になっています。
ありがとう^_^