江戸ユートピア。

  平和に戦争もなく鎖国すれば、江戸が生まれる。知れば知るほど、ユートピアなのです。高水準の文化です。


  まず一番、町人文化。武家は野暮だった。お武家様たちは、下々のトレンドを必死に追っていた。他の国の文化はまずは金持ちの為に有り、芸術家はパトロンを求めた。金持ちにウケるものを生産した。けれど江戸は武家に媚びなかった。


  吉原では。遊女たちが主役であった。男に媚びなかった。吉原では独特の作法があり、独特の言葉があり、独特のくすぐりがあった。欲望を満たすところではない。お客の方がへりくだる、遊女が常に上座なのだ。

  前々から憧れていた花魁に、お金の算段がついてやっと逢える。初回は何もできない。次は顔見せ。言葉を賜わるようになり、煙草にもらうようになり、やっと馴染みになる。食事の時の箸袋にお客の名前を書いたりする。やっと床入りという日に、その花魁の前からの馴染み客がたまたま登楼したりして、見世の若い者に譲るように交渉されたりする。お客は花魁に嫌われたくないから、泣く泣く譲るのだ!これを「もらいびき」と言う。花魁の妹女郎が代わりをつとめるが、手をつけてはいけない。お酌をしてもらって、話し相手になってもらう。それでもお代は、いっぱしの花魁料金なのです。この理不尽。

  人気の遊女は洒落本にものるし、浮世絵にもなる。

  武家出身の遊女もいるし、博学の遊女もいる。男性のみならず女性からも、憧れの的。みんなのアイドルでした。

  

  浮世絵にしても。

  現代の絵のように壁にかけて鑑賞しません。手にもって鑑賞する。ブロマイドや漫画のようなものです。近くでその細やかさを楽しむものなので、モチーフが大事だし、情景を説明するし、ストーリーがある。全体にリアリズムを追求するけれど、部分と部分を繋げたような不思議なキュビズムが生まれる。デフォルメもある。彫りや彩色の技術も向上する。

  春画は高く売れる。だから名のある絵師も春画を描く。(高く売れるので、色もたくさん使える。好きなように描けるということ)美術館には展示されないけど…、すごい作品があるんだろうな(想像です^_^)

  有名な浮世絵師、葛飾北斎喜多川歌麿歌川広重。北斎は天才肌の芸術家、歌麿は美人画ちょっとマンネリ、広重は風景画永谷園です。でも、それぞれにチャレンジがあり、それぞれが良いです。庶民にまじって人気者の絵師たちで、庶民のための浮世絵でした。彼らがいなければ、浮世絵は衰退しただろう。間違いなく、立役者です。

  (漫画は〔読む〕ものだけど、〔書く〕とは言わない〔描く〕と言う。これは浮世絵の流れなのでは?と私は密かに考えている)


  歌舞伎にしても浄瑠璃にしても落語にしても。ストーリーが決まったものでオチらしいオチがないものでも、結構愉しめる。それは演者を愉しんでいるのである。新しい演出がなくても、驚きがなくても、鑑賞者は存分に愉しむ。味わう。


  川柳や連歌などは大人の遊びであった。合コンみたいなものだ。これは若者は参加できなかった。


  大工の手間賃は一日五百文。家賃は月三百文。あら?一日の稼ぎで家賃が一月分払えるの?アサリの剥き身がすり鉢いっぱい五文。お酒が十二文。いいなぁ。

  現代は年齢が上がるにつれて給料も上がらなければ、という気風ですけど、江戸では給料はずっと同じだったみたい。それはそれでいいなぁ。


  「粋」と「野暮」というセンスがあって。つまり遊びごころのことですけど。もちろん「粋」が尊ばれる体なのだけど、「野暮」は「野暮」なりのプライドがあった。

  「粋」はパアッと遊んで何も生産しない。「野暮」は生産したり商売をする。バランスよくやっていた。だから野暮でも良いのです。

(気障キザは良くない。哀愁が漂う)


  「粋」って何だろう?と考えた時に、「わざと、そらす」ことかなぁと思えてきた。

  江戸にはたくさんのルールがあり、たくさんの身分がある。会う人ごとに「仮面」をかぶり、融通をきかせ、想像力を働かせ、ユーモアに富んで、コミュニケーションをとる。今で言う自分探しなんて多分しない。アイデンティティとかリーゾンディテールとか、悩まない。今を生きるのに精一杯なのだよ。チャキチャキです^_^

  江戸人は「思わせぶり」が大好きなのだ。なくてはならないエッセンスなのだ。

  「思わせぶり」に「思わせぶり」でかえす。そういう遊びなのだ。

  イマジネーションを掻き立てる、過程を愉しむ、無限のバリエーションで遊ぶ。


  着物が少し不自由なように。

  襟足や袖口や裾が色っぽいように。


 少しだけ滲みでる江戸を、くんくんと嗅ぐ。