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祝杯

豊かさ
  ここ半年ほど熟読している個人ブログの人がいて。その人はトロント→世界旅行→オーストラリア、そして出身地である京都に昨日(今日?だったか)戻ってきたようだ。多分、京都からまた旅に出る。イスラエル方面に^_^

  なんとも。おかえりなさい〜と嬉しい。京都で買った酒をあけてみた^_^

  旅に出る人が好きだ。

  私も旅に出るのが好きだけど、どんだけ旅に出られるかわからない。
  シェルタリングスカイで、観光客と旅人は違うんだ、という文章があったけれど。あれでは旅人が哀れすぎる。真実そうだったとしても、旅に出るってそんなに深刻ぶったものでは無い。移動したい、もっと気軽に。

  勝手に祝杯をあげる^_^

  健康な彼に

  健康な私に

  健康なこの国に

  旅行記を読むとワクワクし、旅行できる国は健全だなと思う。

  いつまでも旅行者を受け入れられる日本であってほしいし

  日本人が自由にどこでも旅行できたらいいと思う。




素質。

探検 浮遊 読書
 『いい感じの石ころを拾いに』宮田珠己。河出書房。2014年。

  この本は、いい感じの石ころを拾いに行くことにまつわる諸々について書かれている^_^

  石ころを拾いに行く、なるほど、やった事ない。

  私自身は砂漠の砂、砂丘の砂、鳴き砂、採取した事はある。
  けれど石ころを拾いに行った事はないなぁ。

  地質学とか図鑑ではない。旅行記というのも違う。熱烈な趣味の本でもない。ちなみに鉱石や宝石ではなく(なんかいい感じの石)に特化した内容です。

  石ころを拾いに行くと言うと世間は冷たい、苦笑いされる。その世間の逆境から彼等のチャレンジはスタートする。
  素人目線で玄人(石の専門家)にインタビューしに行ったり。無意味な事に集中してしまう楽しさとか。
  専門用語との新鮮な出会い。率直な驚き。同情しやすい文体。

  とても個人的に追求・探索するものだから、この本は手引書として一体何人くらいの役に立つだろう。ガイドブックといには個人的すぎる。

  まぁでも。旅行記やガイドブックを熱心に読むのも、行く予定があるから読むのではない。読んで想像するのが楽しい。
  いつか行ってみたい、やってみたい。
  そういうリストアップ^_^

  絶対やらないだろうなあ、、、と思いつつ。普通に拾いに行ってしまうかも。

  なんか良いです。
  興味が湧いた。

  石、とっても綺麗です。
  ポリッシュマシン、欲しいなあ。

  多分、私、素質があるような気がしています。まだ拾いに行かないけど。

  読みものとしてとても面白かったです

アンモナイト。

日常
  左側だけなんとなく違和感が続き、安静にしている。
  部屋を暖かくし、無理をしない。眠くなったら眠る。

  うーむ。暇だ。

  猫が丸くなっていたので寄り沿う。
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  アンモナイトみたいだなぁ。。。

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  ちろりと睨まれる。
  眠たいのに私がエロオヤジのように添い寝するので邪魔くさいのだと思う。
  
  リハビリ?で折り紙をする。
  YouTubeで見ながら、綺麗な色の紙で折っていく。
  〈ガーベラ〉は途中まで折って挫折。
  〈猫〉は完成したけど、シッポのところがどうもオカシイ。
  〈ぴょんぴょんカエル〉は完成したけど、ぴょんぴょんしない。
  
  なかなか楽しかった。

  YouTubeは暇つぶしにもってこいだ。
  聴くラジオ、というので江戸川乱歩佐野史郎さんが読んでくれたりする。怖い。
  落語もたくさんある。



  出来上がった折り紙を灰色猫にあげた。
  ちょん、ちょん、ちょん、と猫の上に置いたら渾身の猫パンチをくらった。イラっとしたのだろう

  すいませんでした。

  

あなたの頭痛、私の頭痛

浮遊
  火曜日の朝、頭痛がいつもと違うので仕事を休んで病院に行くことにした。

  左の後頭部に瞬間的に痛みが走る。左耳後ろがビリっとする。右側はなんともない。熱はない。
  片方だけ痛むのが不気味で「頭痛  左  こめかみ」で検索すると(脳梗塞かもしれないからすぐ病院に行け)とある。
  手足のシビレはない。二重に物が見えたりもしない。喋れるかどうか喋ってみた。よし、喋れる。
  とりあえず出勤してから「休みたい」と上司に言って帰った。迷惑そうにされた。

  ビリビリする頭をかかえ病院に行った。車で30分。評判の良い脳神経外科で、紹介状がなくても診察してもらえる。
  初診の前に助手のお姉さんと話す。
  いつからどんな風に痛むか。
  この痛み方は以前に経験したことはあるか。
  どのくらいの間隔があるか。頻度。
  どんな風にしたら痛むか。
  偏頭痛など、普段から頭痛はあるか。

  頭痛を他人に説明するのは難しい。

  今回の私の頭痛は、ビリビリするような痺れるような痛みで、瞬間的に痛む。痛みが走る感じ。髪が揺れるとピリピリする。まっすぐに座っていても痛みは走るけど、車の振動が辛かったり瞬きのタイミングで痛かったりもする。月曜日の夜からこめかみがこっているような気がして首、肩を揉みながら眠った。夜中に目が覚めると左側だけ痛かった。なかなか眠れなかったけど、寝た。

  (ズキズキする)とか(締め付けられるような)とか(キリキリする)とか(重い)とか色々と表現することができる「頭痛」だけど、コレだ!と思う表現がなかなかできない。具合悪いのもあるし。

  助手のお姉さんが「痺れるような痛みって、痺れてるのが強いの?痺れてるか?痛いのか?としいていえばどっちなの?」とか迫る。うーむ、わからん。痺れてる?
  「波があるんですよねぇ、どのくらいおきに?」うーむ、わからん。3分くらい?
  質問してくれてるのだからしっかり答えなければいけないのだけど、曖昧になってしまう。耐えられない程の痛みだったら、痛みの特徴ももっとしっかり掴めるのだろうけど。
  「頭が割れそうに痛むので、耐えられずに壁に頭を打ちつける」とかだったらわかりやすいのになぁー

  血圧はかって、熱はかって。いよいよ先生の診察。
  診断、「頭皮の神経痛」ですって。
  神経痛…!

  念のためにMRI検査しましょうと言われたので、本当に血管切れたりしてないか見てもらうことにした。

  ☆

  MRI検査というのは、強い電磁波を身体にあてて断面をレントゲン写真みたいに撮影してみる検査です。
  初めてだったのでワクワクしてしまった^_^近未来の機械で。気分は宇宙ロケット。
  寝かされてヘッドホン付けられて、輪っかに入れられる。約20分。

  ツラくなったらブザーを押してくださいと、握らされた。その手が優しく感じられた。
  あの輪っかの中って、音がすごくうるさい。ビー!!とかビッビッビッ!とかブー!!とか。今この瞬間に地震が起きたらどうしよう。
  仮面のような物まで被せられる。
  〈動けない・狭い・警告音の連続〉だったりするので閉所恐怖症の人はツライだろうな。
  電磁波も感じることができる。ピリっとする。
  頭を輪切りにされている。

  そしてチロチロと不安になる。
  「脳に異常があったらどうしよう、、」
  今まで物覚えが悪かったりしたのは脳の萎縮が原因でした、とか言われたらショックだ、、、

  ぼやーんとしていたら検査が終了した。近未来の機械から出してもらった。
  
  先生の診断は、脳は正常。
  よかった。。。

  ☆

  「頭皮  神経痛」で検索すると、現代病のよう。
  突発的に発症して、長引く人もいればすぐに治る人もいるようで。
  ストレス、不節制、悪い姿勢の人がなるそうです。
  がーん。これという治療法が書いてない。原因も不明じゃんか。怖っ。
  神経痛って持病になってしまうんじゃないの?偏頭痛よりタチ悪いんじゃないの?

  ところが先生は「3日で治る、3日で治らなかったらまた来てください」と仰られた!!!本当ですか先生!?名医!!!!!
  「3日で治らなければタイジョウヘルペスかもしれません。ウィルス治療しますから」
  ヘルペスって、それもまたツライらしいよねぇ、、、、

  ひとまず安静です。

  それでも今日出勤しましたよ。
  鎮痛剤でふわふわしてるし、時々ビリビリくるし、辛かったなー。
  違う事務の人に「大丈夫ですか?」と問われても「あんまり大丈夫じゃないかも」と答える始末、、、帰りたい
  上司のイライラがもうびんびん伝わってきてイヤ。
  「寝込まれても困るから帰す」とのこと。早退してきました。
  鎮痛剤には睡眠薬も入ってそう。
  安静にさせてくれー

  このように他人の頭痛とはわかりやすくないのです。
  わかりにくいのです。
  ツラくても「機嫌悪いのかな」程度。
 
  病院は、めまいに悩む人や頭痛に悩む人がたくさん来ていました。
  認知症の人も。
  鬱とか介護のポスターもたくさん張ってありました。
  持病の人、大変だろうなぁ

  本当に健康が何より。
  健康になりたい!!!

承認欲求。

吐き出したもの
  私がブログを始めたキッカケは、ある人の書評に行き着いたことだった。

 それまで「ブログを書く人イコール自己主張したい人」という認識があったので、検索してブログに行き当たるとなんとなく「ぬべー」とした。
  その「個人的な感覚」とか「個人的な熱情」とか「個人的な意見」みたいなものが絡み付いて「た、、、助けて〜!」と目が潰れそうだった。。。

  たまたま行き着いたその人の書評はドライな感じで読みやすく、その人が他にどんな物を書くのか、興味を持ってしまった。
  わきまえている、というか。礼儀正しい印象だった。上手だった。
  歳もそれほど離れていなかったし、境遇も通じるところがあったし、すごい勢いで過去の記事を読んだ。読めば読むほど個人的な興味が湧いた。自分と似通っているような気がした。同類の友達のように、その人が面白いと思うものは自分も楽しめるんじゃないかと、アンテナをはることができた。
  その人は、書評の他にも、音楽のこととか映画のこととかテレビのこととか日常の日記のような物も書いていた。たまに創作的な物もあった。

  実際の友達関係なら、個人的付き合いで本や音楽や映画の話もする。
  だけどいくら友達関係でも、創作的な飛躍世界や日記的なダラダラ世界はまず味わえないなーと思った。
  ブログって。その意味では、実際の友達関係以上の物があり得るなー!と確信したわけです。アンテナもはりやすいし。
  そのブログ主と会ったことなくても、実際の友達関係をすっ飛ばして、ネット上で繋がりが持てる。

  当然。そのキッカケを与えてくれたブログ主に読んでもらえなくてもいい。なんとなく自分もブログ記事を書き始めていた。

  ☆

  でも、やっぱり自分はそのブログ主に自分の記事を読んでもらいたかったのだと思う。

  たくさんその人の記事を読んで、(その時は私には時間があって、そうして誰かと新たに関係を築くことは自分にとって重要だったのだと思う)その人を「知りたい欲求」があった。
  知れば知るほど知りたくなる、というのは依存症でしょう。
  その人のいちいちを知ることで具体的な情報を集めて、架空の友達を作っているようなものです^_^

  だからやっぱり、自分の正直を書くことによってその人と繋がりたかったのだろうな。読まれることを期待して。

  ☆

  今も私は記事を書いているけど、全て自分のことばかりだ。私が体験した事やなんとなく思った事やみた映画の事、読んだ本の事、嫌だった事、、、
  その特定の誰かに読まれる事を期待しないと思うのは、やはり嘘なのだろうか?
  猫好きの誰かに触発されて書いた記事もあるし。関東に行った時は関東の人を思う。京都に行った時は関西の人を思う。不思議な事が好きな人を思って、不思議な事ってあるよねという記事を書いた事もある。

  それでやっぱり他人からみたら私は「ぬべー」としたブログを書く人の1人なのである。

  記事を書きながら「何やってるんだろうな私」と思うし。
  それにしても続けて読みたいブログが増えた。
  定期的に更新してくれたら読めるけど、(例えばアリスさんのダイアリーが私の中で行方不明になってしまっている。誰かアドレス教えて)
  
  読んでもしょーもない記事ばかりだけど、、、私ったら読まれたいんだろうなぁ、、、とつくづく思う。
  
  日常生活では、自己主張し辛くなっているのでしょう。自分の正直を言えなくなってきている。

  友達にグチるように、手紙を書くように、心のノートに感想文書くように、ダラダラと書かずにはおれないのだろうなぁ。。。

  んー、でも。
  このブログでブツブツ言えなくなったら、私は不健康な気がしています。

  誰が読んでくれなくても、
  ブログでブツブツ言える私でありたいです。

  

猫は流れていく。

浮遊
 「猫好きは猫全般を愛す。犬好きは自分が飼っている犬、またはその犬種を愛す」
  …という文章をみかけ、
  「そーだ!そーだ!」と強く思った。

  よく「猫か、犬か?」みたいな議論が巷でおこるけれど、猫好きと犬好きで大きく違うのはソコかもしれない。

  犬が愛想良く「遊ぶ?遊ぶ?」とこちらを見る姿は、猫好きにとっても抗えない魅力の一つ。拒めない。
  それはそれとして、私個人の生理としては、犬って割と「怖い」
  吠えられたらどうしよう、噛まれたらどうしよう、と見知らぬ犬に出会うたびに警戒している。「遊ぶ?遊ぶ?」とこちらにコミュニケーションを求めていたとしても、私自身は「怖い」と認識していることもある。つまりビビリーなのである。「きゃー」と言ってしまう。

  その犬の飼い主は勿論怯えないだろうし、例えばレトリバーやドーベルマンを飼った経験がある人はそこまで怯えないのではないか。

  もし私だったら、例えばチワワとかポメラニアンでも吠えられたら怖い。
  例えとしてかなり間違っているかもしれないけど、6か月くらいの赤ん坊に近い。勿論かわいくて抗えないのだけどギャン泣きされたらビビる。子育て経験のある女性はそこまでビビらず対処できるだろう。可愛いけど意思疎通ができず、個体として接するしかない。その子特有の癖や個性があって、全般的に言えることは一般論でしかない。いくらかでも経験があれば恐怖は薄まるのではないか。「犬らしさ、犬としての特徴」に基づき、犬個体の個性を見抜くことができる。
  犬経験のない者にとって、犬玄人っぽい対応をする。

  一方。
  猫というのは猫という総体なのである。
  猫は猫。それが前提。猫らしくても猫らしくなくても、どちらでもいい。猫でありさえしたらオッケーだ。
  猫好きからすれば、太っていても不細工でも運動神経が悪くても声が悪くてもネズミをとらなくても、猫は猫だ。優劣はない、猫は平等。もっと言えば、一匹の猫を愛する人は世界中の猫を愛していると言っても過言ではない。

  猫と親しんだ経験がある人はAC(after cat)猫は猫。猫を総体として捉える。
  それ以前をBC(before cat)6か月くらいの赤ん坊と変わりなく、可愛いのはわかるけど同時に意思疎通の叶わない不可思議な存在でしかない。限定的に捉えている、誰かの家猫とそれ以外、という風に。

  ACとBC、両者は明確に区分できる。

  猫に親しんだ経験がある人ACならば、その猫の個性などぶっ飛んで、自分の持っている猫のイメージにすぐさま繋がる。過去の猫たちに。
  猫を通して、様々な猫に出会う。

  喫茶店に白猫の写真が飾ってあれば、出会ったことがなくても「うるっ」となる。かつてこの店で昼寝していた白猫、お客様にも動じず皆に愛されていて、多分15年ほど生きていたのだろうなぁ、と一瞬に想像する。
  道行く猫に挨拶するけれど、ノラなら「へん」とされて見向きもされない。過酷な日常を思って心密かに応援する。そしてその自由さに憧れる。
  漫画で親しんだ大島弓子さんの諏訪野チビ猫。擬人化されているから可愛いのではない。サバ猫もぐーぐーも、大島さんの観察によってより家族のようなかけがえのない存在として描かれているので感情移入してしまうのだ。
  猫ブログを熱心に読むのもそう。
  猫本を読んで号泣してしまったりする。

  よその猫を通して、過去に出会っている猫をみている。よその猫なんだけど自分の猫のように感じてしまう。
   
  猫のふいに遠くをみる感じとか、明日はもう会えないかもしれないというきまぐれな感じとか、一期一会の偶然さとか。
  複雑で微妙な間合いがまた、その手触りを残し。
  「猫というのは集合体であって総体なんじゃないか」と私に思わせる。

  勿論、猫にも個性的な奴はいて。相性の良い猫とそうでない猫というのはいる。村上春樹のエッセイを読むと面白おかしく書いてある。猫ブログを熱心に読むのだって、実際にその猫のファンだからだ。猫の個性は認めているつもりだ。
  それでも猫は猫というだけで、無闇に猫好きからの注目を集めていると思う。
  それは犬好きの犬に対する注目とも違うし、6か月の赤ん坊とも違う気がする。

  猫好きは、猫ならなんでもいいんだと結論する。
  道でも映画でも小説でも写真集でもエッセイでも、目ざとく猫を見つけ猫に注目する。
  つい猫カレンダーをめくってしまう。
  犬経験のある犬好きは自分ちの犬が限定的に好きなのであって、よその犬本とか違う犬種の犬ブログとか、猫好きほどは注目しないような気がする。猫好きと比べると、ですね。それは個体として家族の一員としてみてるってことだと思うのです。

  ハチ公は銅像にもなっていてスゴイです。ひいては芝ファンが増えるけど、それはフレンチブルドッグとは関係ない話なのです。
  
  猫はもっとメタファー的。記号的。
  「猫ってなんかいいんだよね」と明文化しない場合、「インドってなんかいいんだよね」と言う人に似ている。
  その国の良さをナンバリングしてカテゴライズして明確にできない人の方が、よっぽどわきまえているように感じられる。インドらしくイメージしやすいものはたくさんあるけれど、なかなかその良さを言葉で伝えるのは難しいですよね。
  通じる人にだけ通じればよい。

  犬は勿論良い。お利口だし芸もするし役に立つし愛想もよい。
  猫はオシッコが臭いし好き嫌いするし無愛想だ。それでもなんかいいんです。BCの人にはわからないだろうなぁ。
  
  

親切なイラン人。

探検 浮遊 豊かさ 読書
『よく晴れた日にイランへ』蔵前仁一、旅行人。2015年。

  旅行記である。
  写真も多くて綺麗。
  著者がさっぱりとした感じの人で、いかにも旅人。どうやら奥様同伴で旅している様子。それもISの話題なども出ていて、外務省の危険情報2013年10月の地域図なんかも載っている。
  2015年1月に日本人2人の処刑動画が流れたわけで。とてもヒヤヒヤするが。
  この本ではとても旅人目線で楽しそうだ。勿論社会情勢なんかも書いてあるが、それよりも「親切なイラン人」の話がたくさん出ていて和む。
  
  文中、ファレル・ウィリアムスさんのヒット曲「ハッピー」テヘランバージョンで踊っていた男女が逮捕されたと書いてあった。
  人懐こいイラン人、笑顔で親切なイラン人が逮捕されるなんて悲しい。
  私は大学生の時、トルコにホームスティした経験があり、なんとなく戒律の緩いイスラム教徒の感じがわかる。
  ハッピーの動画をみれば、懐かしく感じたりもする。
  
  きな臭いニュースが連日流れている。

  例えば日本人があの近辺を旅行していてISに関わるような事があれば、日本中から白い目で見られるだろう。
  
  日本国内でもイスラム教徒というだけで距離がある人もいる。

  私はでも、この本に出てくるような「どこからともなくやってくる、とても親切なイラン人」の話が大好きで。それはそれは「親切なイラン人」が何度も何度も登場する。
  蔵前さんのお人柄もあるだろうけど、イランってとても良い国のように思えるし、いつか行ってみたい^_^
  こういう時代、こういう時だからこそ、よその国や文化を知るのは意味あることなのではないだろうか。

  ↓見つけてしまった蔵前さんのyoutube!!

  文章も読みやすいです。なんか明るい。出かけたくなるような軽い感じです^_^おすすめです!!