夜に聴く




  朝型か夜型か?と聞かれたら、自分は真夜中型…、と思う。

  シャキッと朝に起き出してパパッと仕事に出かけて夕方に待ち合わせてオツカレーなんてビール呑むけど。
  
  喧嘩して一人でお酒なんか呑んでたら、じわっときてしまう。

  そんで怒りながら風呂に入って音楽とか聴いて、
  カッカたしたり、しゅんとしたり、旅立ちたくなったり、友達に電話したくなったりして真夜中をやりすごす

  んで最終的に音楽に結論を出してもらう

  真夜中の私が本当の私。

  昼間や夕方に会う人でも、つい真夜中の自分がはみ出して出て来てしまう人というのはいるけど。

  ブログでもたまに真夜中の自分がはみ出してます^_^

  本当に泣けることがありますか?
  

  涙活とかって、ききますけど

  私は「愛」とか「死」でないと泣けない。
  それしか泣く理由はないだろう

  「愛」も「死」も身近にある。

  

    そんな風に皆ガンバって生きてるんだな、と思うと、そういうのも涙に変わったりする^_^

  とにかく、真夜中にほどけてます


    ほろほろに


  




ふと思い出す




  ↑サイモン&ガーファンクルのこの曲

  子供の頃、作詩の課題で「僕は石だ」という詩を朗読した男の子を思い出す。
  大人しくて、身体が大きくて、のんびりした子だった。

  ひねくれて自虐的でもなく、周りの友達に牽制する訳でもなく、
  淡々と自分の事を石に喩えた。

  自分は無口でおしゃべりをしない、
  動きもノロい、
  でも「硬い」んだ、…という内容だった

  強い、とか、動じない、とかじゃなくて「硬い」というあたり
  自己表現としてアッテイルなぁと思った。

  サイモン&ガーファンクルは、友達なんか要らない、本が自分を守ってくれる、みたいに唄っているけど
  聴くたびに切ない

  その純朴さも、守るべき自分も、
  かつて私自身が持っていたものだからだと思う。

  石だった男の子は、どういう大人になっただろう
  
  砕かれたり磨かれたり加工されたりしても、その「硬さ」は保っているだろうか



  砂のようになっても硬かったら、逆に変幻自在で良いと思うな^_^

  

隣の人

  連日の報道で、あの型にハマった映像やオレンジ色を目にすると滅入る。


  「同じ日本人であるから」という前に、「人が人を処刑する」という行為に嫌悪感を持つ。


  Hさんがどんな人であろうと

  (たとえ軽はずみの考えなしで渡航したのだとしても)

  処刑して、晒し首のようにネット映像で流す行為に耐えられない。

  

  尊厳も何もない。

  暴力の最たるものだと思う。

  埋葬することも無いのだろう。


  異国の地で捨てられてしまうのだ

  大きな後悔と、屈辱と、羞恥の中で


  物のように扱われ(人質)、脅されて怯えて、耐え難い痛みの中で死んでいくのだろう


  ニュース報道の度に私は滅入る。

  中にはモザイク無しの映像を見つけてきて見せる人もいる、ワイドショー的気分なのだと思うけど、

  グロテスクな映像を好奇心で見てしまうのだろう。

  自分は関係ない、とスパッと線を引く。

  友人知人が外国旅行したりしないのだろう。

  ものすごく対岸の火事なのです。

  怖くないんだなぁー。


  私は怖い。

  YouTubeもオレンジ色も、

  Hさんのブログも。

  無視できない、けど

  見守るしかできない、のも。

  

  対岸にいる人ではなく

  隣にいる人のように感じる


  フランスは多勢がテロに反発してデモ行進していたけど、イスラム国にもフランス出身の人がいる。

 国籍って何だろう

  身内と敵って何だろう

  (すでに宗教の域を超えているだろう)

  


  何より暴力が恐ろしい

  ぶっ殺すしかない、ぶっ壊すしかない、という発想が恐ろしい

    

  暴力から、用心深く隠れるしかないのか?

  隣の人がふらりと出てしまって、

  その人の軽はずみを指摘して、運がなかった残念だったと諦めるしかないのだろうか?

  

  最期の瞬間、どんな事を思うのだろうか


  憎むのだろうか


  

  (死ぬしかない)と思ったとして正義ですらない

  自殺ではなく処刑、というのも辛い。

  

  尊厳はない




      

    

差し引きする。

  ◯今日の良くなかったこと

  お金を落としたこと
  (五千円札。…何故財布にないのだ???五千円あったらできることを色々と考えてみた…無いのだから無いのだ、と、素直に諦めようと試みるけれど、自分の不甲斐なさを呪う。
  あの時だろうなー、あの時しかないよなー…。

  五千円
  あったらできる  
  できること  ほい
  妄想止まず  セコイ奴  ほい

  (…とりあえず都々逸してみる…)


  ◯今日の良かったこと

  中折れ帽子の、自分の好きな奴を八百円で買えたこと。
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 黒レースで、カジュアルに使えそう^_^

  ボサボサしてても帽子をかぶるとなんとなくサマになったりするので便利。

  安く買えたのだから黙ってたらいいのに、値段を言いたくなるから不思議。言わなきゃいいのに。
  


  ◯今日の良かったこと、その2

  ロウバイが開いたこと
  正月は玄関の外に蕾のまま、投げ入れしていた
  今は廊下にある

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  黄色い梅

  花の色よりも、その香りが素晴らしい

  私は金木犀よりジンチョウゲよりヒヤシンスよりジャスミンよりクチナシより水仙よりバラより、このロウバイの香りが好き!
  清らかさにトロけます。吸い過ぎて窒息しそう、、、この香りに埋もれたい

  
  普通の梅より早く咲くので、思い切り迎春の気分ですね^_^

  spring has come!

  うちの廊下はもう春です!


  (名前がアレですよね「蠟梅」渋すぎ。
…ルクリアとかー、茉莉花とかー、もっとそそる名前なら人気が出るのかな?香りは絶品なのになぁ、、、)
  

燃焼


  うーむ。

  就職活動というのがどうも苦手なのです。

  自分に合った仕事(お金を稼ぐ労働)が何なのかイマイチわからないというのもあるし、
  職場が自分を認めてくれても、労働条件はそれほど良くなかったりするし、
  やりたい仕事を選ぶことができても、付随して、やりたくない仕事は連なって押し寄せるし。

  そもそも「できること」と「やれること」と「好きなこと」と「やりたいこと」は全然違うから。
  主観と客観も混ぜてはいけないだろうし、現在と未来も混ぜてはいけないのだろうな、と思います。

  なりたい自分とかやりたい自分っていうのは、未来のこと。
  できる自分とかやれる自分ってのは過去&現在のこと。
  他人と比べて初めて、できる・できない、やれる・やれないが分かる訳で。
  
  (やる気になったらできる、とかナシ。
  やるかやらないか、できるかできないか、だと考えてます^_^)

  がんばったけどできなかった、は許せない。
  やったけどできなかった、ならまだ…。
  …やれよ!って話だけど。。。

  
  ☆

  
  このたび。
  パート職員として働いているところで、正職員の試験を受けることになりました(1月30日に試験)

  パートで働き続けるのもおかしいかな、と。不完全燃焼だから、、、
  もっと色々できるようになれたら仕事も楽しいかなー、と。完全燃焼を目指したい、、、

  ノルマもくるけど、研修にも行けるし。
  発言権も持てるし。
  責任もつくけど、目標が持てる。

  もはや現状維持はあり得ない。

  やるだけやって、気がすむまで働いてみようかな、と思いました。

 
 完全燃焼しないと、欲求不満です…



  (だけど完全燃焼する「場」はココなのか?と常に疑問…。どこでもいいや、と思うけど、ココなのか?という心の声もアル)


耳と声。


  ため息をつく人が面倒くさい。
  (そのため息の理由をきいて欲しそうだから)

  ゴニョゴニョ話す人が面倒くさい。
  (自分本位に話すから)

  はりきって話す人が面倒くさい。
  (テンションが高く、押し付けがましいから)

  自信なさげに話す人が面倒くさい。
  (言いたい事が伝わってこないから)

  几帳面に話す人が面倒くさい。
  (言葉通りにしか理解しないから)

  イライラとした人と話すのが面倒くさい。
  (どっか行ってほしい)

  気をつかいすぎる人と話すのが面倒くさい。
  (気をつかいすぎて本題が見えにくいから)

  
  だから、率直に話す人が好ましい。
  こちらの理解のペースをみながら、ファスナーの凹と凸が合わさっていくように話せる人が気持ちがいい。
  
  「話をする」というと発信するような能動的な行動のようにみえるけど、わりと受け身な行動のように感じる時がある。
  結局、相手に望まれた状態でなければ、気持ちのよいプレゼンテーションはないのだろう。
  聞きたい人が聞きたいように聞くんだろうなと思う。
  潜在的に「耳」が開いていなければ、どんな有意義な情報も理解されない。
  合わせるべきは話し手であって、聞き手ではない。

  「耳」に届く率直さとは、静かで落ち着いていて、信頼できるような通る声。

  「耳」のよい人ほど、雑音に厳しい。

  (だからよく自分の声を意識しようと思う)

  聞く行為の方が、より能動的で発信していることを自覚するべきだ。
  真意が読めたら、その結論のコントロールもできる。質問をすることで、主導権を握ればいい。
  話し手は情報が共有できて嬉しいだろう。話した甲斐があるというもの。



  無意味なおしゃべりが人を疲れさせたりもするので気をつけよう
  
  殆どのおしゃべりに意味はないのだけれど。

  無意味なおしゃべりはパフォーマンスだ。発声練習だ。
  聞き手に愛される声でなければ、面倒なだけ。

  話し手は常に受け身である
  

顔の輪郭。

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  「職場の人と合わない」という話はよく聞く。同僚が・上司が・後輩が、話の通じる相手ならどんなに楽か…。
  合わない・合わない・合わないというグチばかりが蔓延しているように思う。
 
  中でも、古い宝石を扱う仕事をしている友人のグチは飛び抜けてシュールだ。
 
  商品が「古い宝石」だけに何処か得体がしれない。
  16世紀とか18世紀は、まだねぇ、ありそうだけど。紀元前300年の宝石だったりする。紀元前って博物館クラスじゃないか?
  ふーむ。古すぎないか?
  「宝石」として機能しているのだろうか?いくらなんでも、身に付けようとは思わない。
  (どれどれ)と指輪を自分の指にはめてみたり首飾りを胸にあてててみようとは思わない。
  宝石は凄い重い想いを纏っているに違いない。欲望が凝り固まったようになって殆ど怨念というか。執着とか愛憎とか虚栄心とか。
 
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  (彼女にもらった卓上カレンダー↑1月)
 
 
  彼女は霊感なんかないらしいけど、開けてはいけない(ような気がする)箱があるらしい。そういう場合はなるべく開けないようにしているとのこと。
 
  
  去年の話だけど、何処かの国の王子様が商品を見に来たのですって。
 
  王子様…?
 
  それだけでも結構シュールだ。
 
  王子様はダイエットコークが好きらしい、という情報がもたらされ…、
  ダイエットペプシではいけないのかとかゼロカロリーでいいのかとか、何処で調達できるのかとか、誰が買いに走るかとか真剣にやりとりされるらしい。シュールだよ!!
 
  彼女の仕事仲間はバラの花束を受け取ったままの姿勢で「あなた、花束って好き?」と問うらしい。
  明らかに好きではなさそうに。
  「まぁ、」としどろもどろに答えると、虚空を見つめて「私は好きではない」と続く。
  「すぐ枯れるでしょう?ペットとか動物も可愛いと思ったことはない、人も。だってすぐ死ぬでしょう?」
  バラの花束を抱えて「儚いんだもの」とつぶやく人と、どんな世間話が望めるだろう。モノなんかあげられない。だってすぐ消えてしまうのに。。。
  (古い宝石はモノの中でも少しは残るので少しはマシらしい…。すごい理屈だ)
 
  働いてるのかなぁ…?と素朴に疑問です。
  例えば花は儚いとつぶやく人に王子様用のダイエットコークを買いに行かせるのだろうか?
  すごい状況であります。
 
  (とりあえず友人はおもしろがって働いているのでよろしかろうと思います^_^)
  
  友人の名言
  「合う・合わないとかじゃなくて、相手は魔物だよ。怖いよ。客は王子様だし。中には神様みたいに善のオーラを纏う人もいるよ。カオスだよ」
  
  遠くから応援します^_^がんばれー
  
 ☆
  
 
  そんな彼女に「なんかふんわりしたね」と言われた。
  旅行中ってどうしても「ふわふわ」になる。
  身体中が、景色や音や空気を吸収しようとして全開になっているのだと思う(もちろん寝不足もあります)
  
  山口はそれでなくても低刺激なのだ。
  「面白くない」というのではなく「刺激が少ない」ということ。
  趣味の良いものばかり、自分の為だけに自分の好みのものを愛でることができる。
  刺激というのは「鼻がキク他人」ビックリするような事、新しい楽しそうな事を話題にする人。
  悪い言葉を使えば「茫洋としてしまった」のかもしれない。
  良いようにとれば「感度が上がっている」のかもしれない。
 
  でもこういう凪の自分も時として大事だ。
 
  都会でガチャガチャとやっていたら、波が読めなくなる。
  私の場合、一度自分の感性を殺してしまったので(再生できた)ということだ。
  
  自分を殺してしまうことと、死ぬことは違う。
  死ぬことは生きることと相反するもので、
  自分を殺してしまうことは生きることを放棄することだ。
 
  死んだように生きている人はゾンビだ。
  生きることも死ぬこともできない。
 
  
  ふわふわとした私も、仕事する時はピッと輪郭を持った私でありたい。
 
  輪郭のスイッチオンとスイッチオフがコントロールできたら傷は少なくてすむなぁ、、、と。
  多重人格ならいっそ楽だろうな、なんて考えている。