彼女の名は、智子。

 私には、いっそ、そんなつもりはない。

 

 彼女は自分の興味や価値観が絶対なのだ。友達の意見は、本当の意味で、参考意見。そして、私の意見は何故だか却下されてしまうことが多い。いつも私は考える、こんなに昔から彼女を知っているのに、こんなに親身になって話をきいているのに、何故私は意見をきいてもらえないのかと。

 (私にはできない)(あなたとは違うから)(私ってこうなんだよね)あまりにも自分が確立しているのもどうかと思う。私としては、旅に出ても、新しいことに出会えない人のように見える。

 話している方言がわからず、地元の人に曖昧に微笑むことしかできない。ガイドブックに載っている店でないと入れない。ひとり旅をしている、という自分自身が好き、あるいは自分と似た友達とずっとそれぞれについて相談したり報告したりしていて、まわりの景色も目に入っていないとか。自分のルールに縛られて旅を存分に味わうことも楽しむこともできない。

 日常にはない自由な感じとか、違うものに対する好奇心とか、多少のことは受け入れる寛容さとか、まぁいろいろ、そういう外に向けられる心の動きが弱いと思うのです。

 自分の内側を見つめるのは、集中しててすごいと思うのだけど。

 

 いつも線を引かれている気がするのです。

 私はこっちで、あなたはそっち。あなたはそっちで私はこっち。まぁそんなつもりもないけど、私はよく変わっている人というカテゴリにいれられていた。言われる側としては、決して褒め言葉ではないと思う。不思議ちゃんとか、天然とか、文学系とか、電波系とか、普通でない、とか。常識もあるつもりなのに、自然に振舞っているつもりなのに、あなたはそっちと言われるのって、少し悲しい。


 年を重ねてきて、何故だか彼女の線引きが執拗になってきた気がするのです。

 ますます彼女の中の彼女が確立してきたのだろうし、ますます私の中の旅人が遠くを見ているのだろうと思うのです。

 

 年を重ねていけば、不安に思うことも増えていきます。それを乗りこえていくために、彼女は自分の信じることを必死で見つけようとし、私は自分の信じることを手放していこうとしている。彼女は安定を求め、私は進もうとしている。


 それでも私たちは友達だからどこかでまた手をつなげると、私は勝手に信じているのですが…、

 あなたと私は違うと、彼女が線を引いている。


 私にはいっそそんなつもりはないのです