摩擦のない世界

  初日の出を見に、初山登りに誘われていたのだけど、前日からの雨で心が折れた。
  朝起きてみたら雪になっていた。
  おまけに暴風雪警報まで出ている。

  これくらいで警報発令だと、北海道や東北の人はヤッテラレナイとやさぐれるかもしれない。やさぐれずに前向きに雪かきするのだもの。尊敬します。

  ともかくヤワな私は、暗いうちから山に登って怪我したり風邪ひいたりしたらツマラナイとぬくぬくとしていた。
  ♫雨は夜更け過ぎに  雪へと変わるだろう〜サイレンナイトウォーオォー、ホリー・ナイト(山下達郎で)

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  猫がシギだと思うけど鳥を玄関に誇らしげに供えていた。
  食べてみたけど美味しくなかったのだろう。死体の横に吐瀉物、、、。
  血痕と羽毛を残し、、、正月だっていうのに、、、。誰が供養するの(答え…私)

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  花壇も静か

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  近所も静か

           呑んじゃおう
           昼間から^_^
          正月だし



   ☆

  いつかスティーブが言っていた。
 (  扉の上に「EXIT」と書かれているけど、これは「ENTRANCE」の間違いではないか?)

  私たちは自然の中で生まれ育ったけれど、文明をこさえて建物をつくった。
  建物の中に入ること、建物の外に出ていくこと、…いつのまにか逆さまになっていると。
  ヤワな人類は建物の中で休養するしかないのだけど、本来あるべきは外側、自然なんだよね、と笑顔で言う。

  

  量子力学というものは、不確定性原理というものを導きだした。
  量子という小さいものは、運動量を観測すると位置が、位置を観測すると運動量がいい加減になってしまう…、つまり観測するまで決められん!と。観測してはじめて、観測対象が決まる。観測するまでは対象は確立的にしか存在しない。
  振り向くまで、、、蓋を開けるまで、、、ソレはソコに存在しないのかも…。
  
  観測者は、観測する行為自体によって対象に影響を与える。
  実は、正しい観測結果は観測しない状態でしか求められない。

   (発酵食品をつくるのに、蓋を開けては結果は変わる。野生動物を観察するのに、ヒトは自然に入り込むけれど、その影響は観測に加味されることは少ない。天体観測は消滅した星の光を観測している可能性もある。ヒトはヒトを意識し演じている。
  →つまり、納豆は密閉して発酵されるべきだし、鳥はヒトが来たら飛びたつし。星は星として、ヒトとは無関係に、存在するのみ)


  ヒトは宇宙の一部なのか?
  宇宙はヒトの一部なのか?

  内なる世界と外なる世界の境界を考える。
  ヒトは内に籠り言葉を操りわかったつもりになるかもしれない。ヒトは外に向かい、〈単なる一部〉になるかもしれない。

  ヒトは観測者にはなれないかもしれない。不確実すぎて。

  ヒトは〈単なる一部〉になる勇気も持てずにいるのかもしれない。ヤワすぎて。
  
  ともかくアレだな。
  日も暮れたな。

  物理なのか哲学なのか数学なのか自然科学なのかよくわからないけど、外に出るのはまた今度な。
 


  
  一年の計は元旦にあり


    (ぬくぬくとしている…)

  

忙しさの中で

  年末です。
  忙しないです。

  忘年会で寝不足なまま働いてミスしたりしてました、、、すいませんー。

  集中力を切らしてはいけないのだけど、責任感のない先輩社員がウロウロしているとどーも、、(ま、いっか)的な雰囲気になってしまいます、、、すいませんー。

  でもアレですよね。
  集中力切らしてはいけないですよね。
  一瞬の不注意一生の後悔かもしれないです。。。
  なにげない一言で、なにもかも変わっていくかもしれません。
  分岐点って色々な処にあるから、本当に。


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  とある居酒屋、とあるもつ鍋↑
  たっぷりのニラともやしとモツに恐れをなして、呼び鈴を鳴らした。
  「蓋はないのですか?」と訊いたら、「蓋はなくても大丈夫です」と言われた。「ぇえ」と不安がっていたら、コレがありますとアルミホイルをくれた。
      (        …たっぷりのニラ&もやしで蓋、、、なのか??   我々はホイルの蓋で美味しくいただきました^_^)

  

  久しぶりに会った女友達は、ニコニコしていた。
  けど多分。
  経済的にも苦しいし、恋愛事情は不利だし。彼女の親はがん治療中だ(良くなったり悪くなったり)一人暮らしで心細いのもあるのかもしれない。
  ニコニコしているのは強いな、と思うけど。
  泣いてもいいんじゃないかな、と思う。

  
  彼女はニコニコしているけれど、私は泣きたくなった。

  


  

泥と砂


  率直な感想なのですけど。
  私は男の人によって書かれたブログを読むのが好きです。男女比でいえば、男有利です。

  もっと言うと、「男の人のロマンチックなところ」が好きです^_^
  
  私が購読している男の人のブログは、ロマンチック全開です。(ロマンチックな男の人を私が選んでいるだけですけど^_^)

  
  写真とか音楽も貼りつけてありますが。
  ことごとく!ロマンチックダナーと思います^_^イイですなーと感じいっております。

  
  ☆


  ブログに限った話ではなく。


  男女の性差って、やっぱりあるのですよね。
  (意識してなくても)年齢差があるように。


  どんなに気があって、きやすいフレンドリーな関係でも、(あれ?)と思うことや(は?)と思うことはあるのです。

  別にソレは悲しい隔たりではなく、身体の違いのように歴然と存在する隔たりなのです。

 マイ・フェア・レディhttp://sprighascome.hatenablog.com/entry/2014/12/22/233220のように、レディは男性によって完成するし、また逆も。紳士はレディによって教育されるものだと思う。
  
  女性はお姫様然としているばかりではなく、時に逞しくしたたかで、生命力溢れている。
  男性は力強く頼りがいがあるばかりではなく、時に弱い部分に共感してくれて繊細だったりする。

  だったら→

  「美しいものを愛して、率直に感じて考えてくれて発してくれるなら。語る言葉を共有できるなら。年齢差がないように、男女差もないのでは?友達というか其れに近い価値観を持てるのでは?」と思うけど、…
  なんかやっぱり眩しい、私には。男の人のロマンチックな部分が。
  
  女性はロマンチックな事が好きなわりに、男性がするロマンチックほど純でも朴でも芯でもないのです。男性は照れくさいと否定するわりに、身についていたりして驚く。
  男性のロマンチックって泥っぽいけど、女性のロマンチックってサラサラなんです。
  
  女性の友人なんかを見てると、ホント、魔女っぽいです。ヒラヒラと跳躍して。一気に高飛びします。「高!」「軽!」と驚きます。
  男性の友人なんかは、そういう跳躍力あまりないけれど、「ぇえ!」とビックリするような発想を持ち出したり、いつまでも愛でていたいようなイジラシサがある。目を細めますねぇ^_^

  
  (『優しい去勢のために』松浦理英子。筑摩書房、1997年。を読んでいます。読書感想を書くつもりが、こんな記事になりました)

  女性の場合、子供を産む為の身体の構造になっているので、性的体験は「生」と「死」に直結します。
  赤ん坊としてこの世に生を受ける時、産道を進む赤ん坊は死ぬ程の苦痛を受けているに違いなく。母親からすれば内から犯されるようなもので。出産って本当にすごい行為です。

  自分の内側に性も生も死も持っている女性はだから、内側の摂理に従って時々高く跳躍するのだろうなと推測する。
  自分の存在理由とか生きている意味とか、ワケのわからないことで悩むのは大抵は男の人。
  でも飛べないからこそ憧れるのでしょう

  そうして極上のロマンチックはコツコツと形成されるのだな…と推察します
    一日にしてならず!
  ワケのわからないことで悩む男の人を見かけても、(極上のロマンチック形成中)ということにして、優しく放置しておくことにします^_^

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ギルティ。


  環境問題に真剣に取り組む人というのは、経済的には弱者が多い。

  汚染地域に住む人、公害が原因で健康を損ねた人、差別を受けたことがある人、裁判中の人、、、

  ボランティアの人、行政の仕事の人、、、。

  

  普通に現役のバリバリ仕事人たちは環境問題は後回しにします。


  「なんで?私は何も悪いことしていないのに??」

  

  過去の世代がしてきたこと、未来の世代に託すこと、、、現在の私は忙しい。

  

  ギクリとする瞬間もあるかもしれない。このままではヤバイんじゃ、、、?

  

  現状を現状として正しく知覚しても、解けそうな気がしないので「問題」として理解できないのかも。散漫に、デンジャーやリスクとして認識されるのかも。

  過去→現在→未来、、と繋がる「問題」ではなく、バラバラに知覚しているのかもしれない。

  解けそうな気がしない問題にとりかかるのは、誰しも億劫です。


  目の前に問題が山積していたら、とりあえずできそうな問題からとりかかる人は多いですよね^_^私もそうです。

  頑張ってみるけど、時間ギレになるかもしれない、、、慌てた誰かがやって来て、私の代わりにやってくれるかもしれない、、、。

  「でもできるだけは、頑張ってみた」

  

  「なんで?私は何も悪いことしていないのに??    私の生活を変えて、私の時間を犠牲にして、環境問題に取り組まなければならないの??」

  「なんで?なんで私が?」


  自分が悪いと認めることは辛いことだ。

  罪深い存在だと認めることは、教育されてきていない。


  水が汚染されたら、、、水を買えばいい?

  水は雨であり海であり地下水です。雪にもなる。野菜にもなる。魚にも鳥にも動物にもなる。いずれ全てが汚染される。

  消毒すればいい?

  ニンゲンだって60%以上、水分なんだよな。


  資源なくして生活できないということを、実感として持てなくなってきているのだろう、都市で富を扱うエコノミストは。(エコノミストとエコロジスト、語感は似ているけれど)

  土や水や固形燃料を消費して循環を考えない。

  自然の恩恵を受けるばかりで還元しない。

  そういった直線的な成長ではなく、円環的な成長を遂げるべきだ。

  量は要らない、必要な分だけとって、後は返そう。欲深は罪。



  ちょっと試算してみよう


  「問題」を「解く」には、地球が生き残るためには、資源を枯渇させないためには、

  その漂白は必要なのか?

  その無効票の行く先は?

  その戦争はどれだけ汚染を招くか?

  そのカーストは?その無気力は?

  その贅沢は?その偏見は?


  その自由は?

  

   http://youtu.be/VHTHUbw1U1Q



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ケーキをつまむ。

  「マイ・フェア・レディ」だったと思う。
  紳士によってオードリー・ヘプバーンは教育されてレディになっていく過程で、「女性は男性に女性として扱われることでレディになっていく」みたいなセリフがあって。まだ十代であった私は「ナルホドナルホド」とエラく感心したものだ。

  女性は努力だけではレディになれない。

  オシャレするだけでも美人であるだけでも、レディにはなれない。

  貴婦人というものはつまりは「品位」とか「作法」なのかもしれないけど、それを完成させるのは「レディ扱いする紳士」なのだな、と。
  エスコートしてくれる存在がなければ、レディは存在できない。
  
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  男性を喜ばせるモノが「女性性」なのだろう。声のトーンやリズム、しぐさ、話題、発想、機転、役割、好み、イメージ、、、。
  男性が目を細めて眩しがるような、ハッとするような、オバサン&オジサンには決して無い何か。
  それは全ての女性が兼ね備えている「美徳」のハズだけれど、全ての女性がレディではないように、全ての女性に発露しているものではない。
  媚びや甘えや依存とはまた違うモノだと思う。

  江國香織が何処かで書いていたけれど「甘やかされるのが好きでない女の人はいない」ううーん、わかる…!
  甘えたくないと思っている女性でも、甘えた経験(過去)があるからこそ「甘えたくない」と思うのだろうし。経験(過去)は否定してはいけない。
  自分を甘やかす事に罪悪感があるとか。強がりで甘えないように奮い立たせているんだよね。
  

  男の人に「綺麗だね」と言われた女の人は綺麗になる。
  男の人に大事にされる女の人はレディになる。


  「女を武器にする」とか、会社の中で勇ましく働く「女を捨てた女」とか、そういう男性&女性の関係の過剰な摩擦ではなく。
  もっとお互い尊敬して、距離をとって、神秘的な関係の方が私の好みだ。


  ☆


  興味深いのが。
  美人か美人でないか、男性意見と女性意見では開きがある。
  女性よりも男性の方が「美人か美人でないか」の判断が重く厳密で素早い。男性はもしかしたら「美人か美人でないか」が第一印象の全てなのかもしれない。女性の方が観察力は高いくせに、「美人か美人でないか」よりも雰囲気や所有物や髪型や化粧ッぷりで第一印象を決める。
   私はあまり化粧をしないのだけど、「(もし自分に)思い通りに化粧させてくれたら、(自分と)同じ顔になるよ」と言われた事がある。その人にとって表情や素顔はどーでもよく、化粧品や技術が「顔」なんだなと思う。
  私は雰囲気重視なので、顔など覚えるのが下手だ。話し始めて思い出したりすることが多い。

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  昨日、年上の女性たちとエイヒレ焼いてビール飲んでた。
  「女子会みたいだねー^_^」と
  いやいや、女性ばかりなのだから女子会で合ってるんだけど。

  「ワカメのバイトしてる時さー、アンパンばっかりもらってー」
  「ワカメのバイト?」
  「うん宮城宮城。それも季節労働者なんだけどー」
  「ワカメ、何するの?」
  「座ってこう…、」
  「ふーん。熟練の技だねぇ」
  

  「競輪みに行ってー」
  「競輪⁈」
  「オジサンばっかだよ。寒いしー。場外でも買えるんだけどー」
  「三連複があと一つだったんだよねー」
  「へぇー、よくわかんないけど」
  「うんオジサンに教えてもらった。入場する時ホカロンもらえるの^_^」
  「ふーん。パドックとかあって太もも比べたりするの?」


  エイヒレの次は肉。その後、鍋。鍋囲んで「手酌が似合うものー」とすっかりオジサンな私たち。

  「カッコイイものー」

  「私が女だったら結婚してもらいたいわー」

  「うーん、女だったらっていう仮定が間違ってるし、そもそも私女だし。うん、アンタ全部間違ってる」


  「今年もおつかれさま!」と乾杯するものだから「えー、クリスマス会じゃないの?」と抵抗してみた。忘年会だったんだ…、

  「えー、じゃあさ!今年のクリスマスは何するの?」

  「えー、仕事♥︎働くよん」

  「ハイ。おつかれさま!ちん」と乾杯されてしまった…!忘年会になってしまった。

  1人がおもむろに箸でケーキをつまみだした。
  「切らないんだー、大胆」
  「うちはいつもこうやって食べるー」
  「えー、おもしろーい」

  と、皆でホールのケーキ、ペロリです^_^


   「新年会はどぶろく作ろう!麹は?もう買った?」
  「まだ」
  「えー」

  …女性たちは好き勝手やるもので、一気に団結したり解体したりする。お姫様は気難しい。ワガママの折り合いをつけるが社会性かな?
  流行を追うように女性の気分を追うのは、なかなか楽しい^_^

湯気と光(モノクローム)


寒夕焼(かんゆやけ) 尿(しと)より上る湯気照らす

ドロさんの俳句。


  綺麗なばかりの詩句より、少し汚い詩句でないと心に止まらない。

  夕焼けに照らされながら立ちションベンする情景、です。


  私は登山などで山に入ると、たとえトイレがあっても使わない。(人が大勢いるような処なら使います。勿論)

  サービスエリアやデパートのトイレは近未来的で楽しいけど、山のトイレはとても怖い。

  山のトイレ……仮設トイレのようで、ぼっとん、蜘蛛の巣でひどいことに、とにかく暗くて、臭いがキツイことも、誰かの気配が、音も響くし、大抵狭い、、、、ね、怖いでしょ??

    …山の奥に少し分け入り、しゃがんでピッピッとする方が気分がいいし簡単だ。私は女性なのでしゃがんでする。撥ねるから。もしも男性なら、湯気まで見えるのだろう。高い場所からションベン小僧のように立ちションベンしてみたいものだ^_^

  なんかソレッテ綺麗だろうな…、と少し羨ましく思った。



  寒い日に呼吸が白く見える。鼻息まで。

  露天風呂にしっかりとつかった者から湯気があがることも、、


  想像する。もしも私がこの夜に、腹かっさばいたなら、黒い血が大量に流れ出て湯気があがるのだろうか


  生きているって、そういうことだろう。。


  電車で通勤していた頃、座席に座れる場合、私の肩にもたれて眠る人がいた。疲れて。

  パーソナルスペースを侵されている^_^なんとか自立(?)して眠ってくれと思い揺り戻したりしてみたけど、しつこくしつこくもたれかかってくる。私はわりとすぐ諦める。

  見知らぬ他人だろうと。

  若いお姉さんでもハゲあがったオヤジでも、肩を貸すことは容易い。

  その人の匂いが不快でない限り、私は他人を許すことができる。。。

  (そういえば私は、男の人の耳の後ろの匂いを嗅ぐのが好きだった^_^)

  生きているって、そういうことかな



  モノクロームの夢をみる


  ちょうど今朝モノクロームの映画をみた。

  男は街にいる。友達も仕事も女も街にいる。

  男はある女を愛し、傷つけ、泣かせた。

  涙が光った。

  街は色とりどりで忙しく変化する。出会いも別れも色とりどり。

  ありふれている物語。涙に色は無い。


  ああ、それでも。



  彩りの固有名詞も

  批評も風刺もジョークも、

  名声もプライドも要らない。


  ぬくもりと優しさだけではない。愛でも恋でもないかもしれない。女は女神のようだった。

  42歳の男は「君は若い。これからいろんな人に会うだろう。君は変わっていくだろう」と言った。

  18歳の女は「私は変わらないかもしれないわ」と言った。

  男は言う「行かないでくれ。僕は君が変わってほしくないんだ。このままの君が好きなんだ」

  女は言う「変わるべきだと言ったのは貴方よ?私は変わらないかもしれないわ。もう少し、信じてみたらどう?」

  

  (ウディ・アレンの「マンハッタン」です^_^)   


  人って、手に入らないものばかり追うのです。

  夢中になって

  そして匂いや熱や光なんかを、思い出のように集めるのです

  モノクロームの夢の中で


if you want it,


ジンジンタロウさんの記事。


  染みちゃいましたね。



  今朝は雪が降るので、早めに出勤しました。
  出勤して車を降りると、次長さんがスーツのまま、雪かきをしていました。片方づつポケットに手を入れて。

  雪かきスコップは一つしかなかった。

  それで私はトイレ掃除用のモップとデッキブラシを持ち出して「私もやりますー」と参加した。玄関と、玄関スロープ。凍ったらマズイですよねー、と。降りしきる中。
  手伝いに出てくる人は、他にいなかった。

  二人で「コレぐらいで良しとするか」と納得して朝礼に向かった。私も制服でヒールのままの雪かきなのです。だってカッパも長靴も用意してないもの。

  朝礼の後も雪はこんこんと降り、ぼんぼんと積もった。ずぼずぼと積もった。次長さんに「徒労でしたねー」と話しかける。

  午前中に一度、雪は降り止み、少し陽がさした。アスファルトの上の雪は溶けた。太陽って素晴らしい。
  次長さんに「自己満足でしたねー」と話しかける。

  そんな私の呟きも、、次長さんは笑顔で受け流していた。
  
  
  次長さんはいつもヒラより先に来て掃き掃除している。営業さんよりも腰が軽い。寒い朝など、素直にスゴイなと尊敬する。
  クチで誤魔化したりカッコつけたりするより、毎日の朝の掃き掃除を「欠かさず続ける」方が、信頼できる。
  たった五分、十分のことだったとしても。
  

  ☆

  
  あまりに問題が大きくて
  あまりに壁が頑強で絶望したり、無力感に襲われても
  変わろうと思うのは自分自身で
  些細な事でも始めなければ始まらない。
  徒労でも自己満足でも無意味に見えても、
  私は無意味ではないと思う。




  話しかけてごらん。

  やってごらん。

  少しだけでも何かが変わるかもしれない