「恋文」について考えていた。
相手に告白して、あわよくばステディの立場を得たいとか、そういう手段としての「恋文」ではない。告白なんか、メールでも電話でも対面でもできる。わざわざ紙に書いたという手間だけで「恋文」と言ってはいけない。それはどちらかといえば「メモ」だ。
私が定義する「恋文」は
1⃣素直に自分の気持ちを語ること
2⃣相手に何かしてほしいと望まないこと
3⃣出さなくてもよい手紙であること
これが正しい恋文である。正しい恋文の条件である、と言ってもいい。
長ければ長い方がよい。
無駄に長いのが好ましい。
考えられる関係は2パターン。
1⃣相手のことを先輩として尊敬している
2⃣相手のことを仲間として尊敬している
確かにそう、一目惚れの場合もあるだろうけど、容姿のみで熱くなれる若者は文章が書けない。文章の書ける大人は観察できるし推察もできるので、容姿のみで惹かれることはないだろう。相手の行動力とか好みが計れるので、純然な一目惚れパターンはないだろう。
重要なキーワードは「尊敬」なのだと思います。
作家から作家へ送るハガキや手紙とか読むと良いなぁーと思うことが多いのです。ただ知性にまかせて書いてるのではなく、思いやりのあるストレートな激励であったり。落書きのような絵が添えられてあったり。名前とか地名とか、妙に堂々として落ちついていたり。最後の締めくくり方が、物凄い余韻を残したり。
「 確固とした個人が、確固とした個人に送るハガキだからこうなるんだ」と納得できるものが多いです。
つまり、その人にだけ通じるもの。
わかりやすく書こうというベクトルではなく、逆のベクトル(わかりにくさではなく)高次元の対話を期待するもの。確固とした個人から、確固とした個人に投げかけられるもの。
そうあるべきだと思うんです恋文って。
さらに妄想をふくらませれば、それは切迫したものであってほしい。のほほーんとしててもいいんですけどね。別に。でもこれが最後になるかもしれない、とかの方が切ないじゃないですかー!
刹那とかもいいですー!
すいません、自分、手紙フェチなんですー!
恋文がほしいとか出したいとかそんなんじゃなくて、良質な恋文とか絶滅危惧してるんですー!守るべきですー!もっと手紙を書こうー!
……時代に合わないという自覚はあるけど、手紙って、書いた方がいいと思うな^_^