鈍感を呪う。

  
  「こどもは、好き?」と男の人に訊かれたりする。
  他意も悪意もないのだろうけど、カチンとくる。
  「好きなこどももいるし、嫌いなこどももいる。こどもだから好きだといことはない」と答えると、少し空気がシラける。だけどそれは私の所為ではない。

  花屋に勤めていた時。やはり「花好きな人」として扱われることが多かった。
  いやー、嫌いではないですけど。
  店にいる時には「商品」にしか見えない。
  他の店の店長は、フラワーアレンジメントを「作品」と呼んだ。私は思う、「作品」なんか要らない、お客様の要望に沿う「商品」があればいい。お金で計算する明解さを愛する。技術料として、貴方のセンスに支払をする人もいるのだろうけど。うーん、花が好きな人で花屋になる人は、確かにいる。商売と趣味を兼ねて。でも趣味を兼ねれば、商売は疎かになる。趣味の店は儲からない、そういうものだ。
  私は、汚い花は捨てた。
  かわいそう、と言っていたら仕事にならないから。

  保母さんや教師だって同じじゃないかな?
  こどもだから好き、ということは無いだろう

  ☆

  「こどもが好き」という女の人は、いるだろう。
  
  女性には子供をつくり、育てる機能がある。
  女性としてのプライドのように思っている人もいるかもしれない。
  結婚はしたくないけど子供は欲しい、という女性もいる。
  産めない人もいるし、産まない人もいる。

  「こどもは、好き?」と訊ねる神経がわからない。その質問の先に、何がある?女性には、産まない理由も、産む理由もある。自然のなりゆきのように産み、育てている人にも、理由はある。そして産めない理由もある。
  「花は好きか?」「音楽は好きか?」という質問もわからないが、そういうレベルの質問なのだろうか???
  
  他意も悪意もないのだろうけど、腹が立つ。
  男の鈍感を呪う