「3回流産してるんだよね」と彼女は言った。

 

  料理が上手で社交的な彼女に子がない事を、わけがあるだろうと思ってはいたけど、いざ実際に告白されると、やっぱり想像して哀しくなる。

  縁だから。

  流れてしまったのは彼女のせいではない。

  わかっていても自分を責めてしまうのかな。

  会えなかったこども

  産んであげられなかったこども

 

  それにしてもやっぱりつらい。

 

  不妊治療も少ししたらしい。体外受精とかのレベルではないけど。

  それにしても毎月、不合格通知をもらうようで切なかったという。

 

  不妊治療はもうやめたらしい。

  健康に、すこやかに「今」を楽しんでいる彼女を、私は誇らしく思う。

  「この人と結婚してよかった。14年の結婚生活になるけど、結婚した14年前より今の方が好き」

  素晴らしいなと思う。

  苦難を共に乗り越えて、愛は深まっているのだたと思う。

  

 彼女が自由に楽しくいられるのも、パートナーの存在があってこそなんだなと思う(ひとみしりなので会ったことはない。会えるかどうかわからない)

  

  人と人が共有できるものって何だろう。

  例えば、(3回流産してる)って言えたことも、自分を客観視できるので彼女にとってプラスになるんじゃないかと思う。

  私の話をすれば、(離婚した)とか(胸にしこりがある)とか、日常的に言わない。タイミングがあるでしょう?隠さないけど、あえて言うのもおかしいから。普段は言わない。「言ってしかるべし」の人に対してはどんどん言おうと思っている。このギャップなのかな。

 

  多分彼女が本当に私に伝えたかったことは、

  縁なのだから

  できたらできた、できなくてもできないでいいってこと。

  わかったよ。

  ありがとう^_^

 

  背中がちぢこまっていたかもしれない。

 

 なんにもわかってないかもしれない。おいおいわかってくるのかもしれない。

 

  支えられているなと実感する。

  私は1人ではなくて、色々な人に助けてもらっている

  

  

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  黄色の首輪を買いました^_^