(共感する)とか(同意する)とか。プラスの言葉だけど、私にはちょっと難しい言葉だ。
「そりゃそーだ」と思うことには、そこまでアツク同意はしない。あまりにも正しいことは、あえて言う必要もない。
大きな声では言えないこと、もしくは自覚してても言葉にうまくできなかったこと、もしくは言葉にしてもらって初めて気づいたことなどに、(共感する)(同意する)という言葉を使う。
「そうだ!」「そうだったのか!」と素直に感動する。尊敬するし、感謝もする。単純に驚いたりもする。
そういう強い共感は「首の皮一枚で、ギリギリやっと繋がる」くらいの微妙なところなのだ、いつだって。
狂っているか、いないか。
彼岸か、此岸か。
許せるか、許せないか。
そんなにギリギリ?と思うけど、結構ギリギリ。
なるべくだったら「中立」を守っていたい。
優しいフリをして、深く関わらずに流してしまいたい。
もっと近道が。正道や王道がありそうな気がする。
まあ、でもね。
そんな訳にもいかないのです。
この間一緒に働いた人は、「見るに見兼ねて」他の人の分まで働いていた。
ニコニコしてるけど、口が悪い。言葉だけきいたら誤解も受けるかもしれない。でもニコニコしながら私のことも気にかけている。無理しているように見える。
現場の最前線で、でも仕事の全体をみて、「見るに見兼ねて」自分が動くのだ。こういう人と共に働きたいものだ。
……話がつながっているかどうか?わからないけど
(共感する)(同意する)よりももっと。
自分の身体になってしまうほど、強く強く抱きしめるような、そういう関わりあいかたを望んでいるように思う。
暗く細い道を歩いているから